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1973年全米でヒットしたが、日本では後追いで数年後に知れ渡ったビリー・ジョエル PIANO MAN 訳詞付 / ビリー・ジョエル ピアノマン [ビリージョエル]



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1973年、ビリー・ジョエルのアメリカでの初ヒット、彼にとって初となるゴールド・ディスク認定作品アルバムからの、タイトルナンバー。

とはいえ1973年のリアルタイム、日本でヒットした記憶は管理人は全くなく、この4年後「ストレンジャー」の爆発的大ヒットで日本でも有名になったビリー・ジョエルのファン達の中の、また熱心なファン達が後追いで好きになって、そして口コミで有名になった曲という日本は感じでしょうか?。このへんは「呪われた夜」「ホテルカリフォルニア」のヒットによって、それ以前の1970年代初頭のイーグルスナンバーを、後追いで好きになった日本人達、イーグルスに似てるかもしれないです。

ビリー・ジョエル。ニューヨーカーなのですが、父上はヒトラーナチから逃れてきたユダヤ人アメリカ亡命者で、少年時代ビリー・ジョエルは「いじめ」からの自己防衛の為、ボクシングをはじめ試合にも出場するほど腕をあげるも、鼻の骨を折られボクシングの道は断念。ハイスクール時代、バーでピアニストとして働いていたために英語の単位を落とし、中退。

音楽で身をたてようと活動を続けるも、鳴かず飛ばず、鬱病にも悩まされ、極度の神経衰弱から精神病院入院も経験してるビリー・ジョエル。日本では「ストレンジャー」が、当時の空前の!ディスコブームにものったり、当時、ボズ・スキャッグス等で人気の「AOR」にも、一時、ビリー・ジョエルは日本のレコード会社の販促の都合で属された事もあり、AOR特有の「都会的」だの「洗練された」だの、マヌケで稚拙なコピーが当時は流行っていたので(笑)、ビリー・ジョエル(ボズも)はファンの方々はよく御存知でも、錯覚したイメージをもったまま年を重ねてる初老中高年、とても多いですが、ビリー・ジョエルの半生を思い、この訳詞をみながら聴く「ピアノマン」、管理人はぐっときます。素晴らしい名曲!、、、。





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