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ブロンディ ハート・オブ・グラスBlondie Heart Of Glass [ブロンディ]





1979年、空前のディスコブームの最中、日本のディスコでも人気の高かった曲で、それ以前からニューヨークパンクのように音楽誌に紹介されてた、けっして!売れてはいなかったブロンディが、大グレイクしたのがこちら、イギリスとアメリカでも堂々1位を獲得した「ハート・オブ・グラス」(Blondie Heart Of Glass)。

パンクとビートッポップのバンドスタイルで、テクノとディスコサウンドをやったという感じでしょうか?。正に!時代、70年代の終焉、80年代を予兆させる楽曲だと当サイト運営者は感じますが、レコードジャケットは彼女しか写ってなかったりしたので、バンド名ではなく彼女をブロンディと思ってる人も多かったりする、セックスシンボル的扱いもメディアに受けていた(バンドの営業戦略?)看板シンガーのデボラ・ハリーは、この時既に!34才。

音楽活動は長く、かつてのアメリカ人女性(ニュージャージー出身)の典型とも言えるフォークグループからスタートし、1970年代初頭に3人組のガールグループ「スティレットーズ」に参加。そのバックバンドのメンバーだったクリス・スタインらとともに1976年ブロンディを結成するわけで、ブロンディ結成時には既にデボラ・ハリーは三十路を越えていたと。

まあ、なかなか曲調のお気楽な雰囲気と違い、デボラ・ハリーはこちらの曲で大有名になるまで、商業的大成功を収める迄、時間がかかってるわけで、ブロンディはこの曲から、電子音楽によるディスコサウンド作りの巨匠!ジョルジオ・モロダー(ドナ・サマーの仕掛け人ですね)と一緒に作った、1980年の「コールミー」の同じく大ヒット交え大成功を収めますが、好事魔多し。デボラ・ハリーと長いつきあいのクリス・スタインが白血病にかかっている事が判明。デボラ・ハリーはその看病に当たる事を決め、バンドは1982年に解散(再結成しますが)。

ちなみに1979~1980年に遅咲きでブレイクしたニュージャージー出身のデボラ・ハリーは、1973〜1974年頃、日本とイギリスで大人気になり、日本とイギリスで商業的大成功を収めた(アメリカでは不振)デトロイト出身のスージー・クアトロより5才も年上であり、スージー・クアトロの連続ヒットのロックナンバーの勢いが、やや衰えてきた頃、彼女は「ママのファンキー・ロックン・ロール」という、1970年代初頭、アメリカで大人気だったニューソウル、ニューファンクの流れを汲むサウンド、ファンキーナンバーを発表しており、もし!「ママのファンキー・ロックン・ロール」が、それ以前のスージー・クアトロの楽曲と同じぐらい売れていたら、案外、スージー・クアトロもそのままの路線で、ブロンディのようなロックとポップスとディスコとテクノを合わせたようなサウンドを、80年前後提供し、売れていたかもしれないな〜なんて思ったりいたします。






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ブロンディ コールミー Blondie/Call Me [ブロンディ]





1976年のデビュー当時後は、ニューヨークパンク的なグループと紹介されていたような記憶のあるブロンディですが(殆ど日本ではヒットしなかったですが)、1979年の「ハート・オブ・グラス」(Heart of Glass)と、こちら1980年のリチャード・ギア主演の映画「アメリカン・ジゴロ」の主題歌でもあった、こちら「コールミー」(Call Me)のヒットにより(共に全米、全英1位)、何時しかボーカルのデボラ・ハリーがディスコクィーン、セックスシンボル的に扱われたグループのブロンディ。

まあ、80年代になるとシンディ・ローパーが三十路過ぎて大ブレイクいたしましたが、こちらブロンディのデボラ・ハリーが「ハート・オブ・グラス」(Heart of Glass)でブレイクした時、既に34才であり(1945年生まれ)、70~80年代の日本は当時(昨今も?)ティーンエイジャーのアイドル歌手全盛時代でしたので、アメリカと日本のエンターテイメントの感覚の差、違い、日本でしたらこのパターンは「苦節何年!」の演歌の世界なわけですから、考えさせられます。


American Gigolo(アメリカン・ジゴロ)-Call Me by Blondie

ブロンディのパンク、ディスコ、レゲエのリズミカルなサウンドを電子音楽の乗せる手法は、この後、1980年代のビートポップの先駆けという感じでしょうか?、、、かなり80年以降のバンド、シンガー、音楽プロデューサーにそのサウンド、又、デボラ・ハリーのファッション、影響を与えてると思われます。

1979~81年に盛況を極めますが、看板ボーカルのデボラ・ハリーのソロ活動、女優活動の影響なのでしょうか?1982年にバンドは解散(再結成しておりますが)。今も1980年前後が思春期、洋楽の初体験世代には、強烈な印象を残してるグループ、シンガーではないでしょうか?。






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