< エリッククラプトン クリーム:70's Rockを称えるブログ:So-netブログ
So-net無料ブログ作成
エリッククラプトン クリーム ブログトップ

ジャック・ブルース、ミッチ・ミッチェル ラリー・コリエル Jack Bruce, Mitch Mitchell, Larry Coryell live 1970 [エリッククラプトン クリーム]





1968年末にクリームを解散してソロアルバム発表後、ジャック・ブルースはジミ・ヘンドリックス&エクスペリアンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルと、この後、70年代、ジャズ、クロスオーバーギタリストとして脚光を浴びるラリー・コリエル、キーボードにマイク・マンデルの4人でグループを組んでおり、このメンバーで1枚ぐらいアルバムを公式に出していれば、70年代のロック、クロスオーバーの歴史も又、若干変わっていたのではなかったか?なんて思ったりいたします。

ロック親爺にはお馴染みのクリーム時代の曲もやっておりますが、まあ〜ラリー・コリエルは当時からラリー・コリエルだったんだなーなんて、当サイト運営者、マヌケな感想を持ってしまいますね(笑)。

60年代から既にジャズとロックの融合をやっていた。そういうジャズ側のアプローチを最も早い時期にやっていたギタリストが、The Free Spiritsというバンドで、アルバム「Out Of Sight And Sound」を発表したラリー・コリエルだった。



というのがジャズの世界の歴史の定説になっておりますが、40~50年代盛況を極めたジャズ人気も、ザ・ビートルズ登場以降の60年代は、R&B、R&R(ロック)を大衆は支持するようになり、ジャズ人気は衰退。商業的マーケットの中心になっていたロックシーンで、ロックというフィールドで3人のイギリス人プレイヤーが、ブルース、ジャズ、クラシックの要素を取り入れたクリームが、ラリー・コリエルと異なり、圧倒的に大衆に支持されたわけで、もし!クリームでカリスマ人気だったエリック・クラプトンが、ブルーススタイルのソロを弾くギタリストではなく、ラリー・コリエルのようなジャジーなフレーズも弾くギタリストだったら、おそらくそれがその後の「ロックギター奏法」の基本になっていたわけで、それほど当時の「エリック・クラプトン」というブランドは、世界的に大影響を与えたわけであります(ジミ・ヘンドリックスしかり)。



結局、クリーム解散後、エリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーが、スティーヴ・ウインウッド等と結成したブラインド・フェイスは、スーパーバンドともてはやされ、今もロック親爺達には想い出深いグループなわけですが、クリームでヒット曲を書き歌を歌っていたベーシストのジャック。伝説ではなかなか我の強い人間と伝わっているジャックの事、内心(我こそクリーム)という思いがあったとしてもおかしくないわけで、もしジャックのこちらのグループが、スーパーバンドと人気になり、ライブアルバムでも良いのでアルバムの1枚でも残していたら(公式に)、同時期、ジャズ人気の低迷と、同胞アフリカンアメリカンのファンクの人気スター!スライストーン、ジェームス・ブラウンの影響、ロックの人気、商業的成功の影響で、かの!マイルス・デイビスが、それまでのアコースティックジャズを辞め、電子楽器を導入。所謂クロスオーバーをやりだしたのですから、ロックからもジャズからも歴史に残るアルバムになっていた事でしょう。

ジャックは更に!今度はジョン・マクラフリンの在籍するアメリカのトニー・ウィリアムスのトリオ、ライフタイムに参加後、再びラリー・コリエルと一緒にやったりするテクニシャンぶりを示すわけですが、殆どロックシーンでは注目されず(ジャズ人気の停滞)、旧知のグレアム・ボンド等と自身のバンドを結成。活発にライブ活動を行いますが、クリームを期待するファン層と折り合いがつかなかったのと、アルバムセールスの不振などで1972年に頓挫。

結局、ジャックはエリック・クラプトンタイプのブルースロックスタイルの、人気のマウンテンのレズリー・ウエストとコーキー・レイングとトリオを組み、ロックファンに久々に注目され、特に日本では人気のクリームとマウンテンの合体ゆえ、当時流行りの!スーパーバンドと大いに期待され、圧倒的なロックキッズ達の支持を得ましたが、1973年にグループはあえなく解体。この後、ジャックはザ・ローリングストーンズを脱退したミック・テイラー等とグループを組みますが、ジャックがロックシーンから、なんとなーく消えてしまったのは、この時期だったと記憶しております。




nice!(0) 
共通テーマ:音楽

エリック・クラプトン コカイン ERIC CLAPTON = COCAINE [エリッククラプトン クリーム]





ライブでもお馴染みのナンバーですが、ライブより、より!ゆったりしたオリジナルレコーディングヴァージョン。1977年、アメリカではビルボード最高位2位まであがる大ヒットアルバムになった「スローハンド」(Slowhand)のA面1曲目を飾った「コカイン」(Cocaine)。

クリーム解散、ブラインドフェイス空中分解後、ソロアルバム、デレク&ドミノス時代から、やたらとアメリカ指向だったエリック・クラプトンでしたが、こちら「スローハンド」(Slowhand)制作1年前のアルバム「ノー・リーズン・トゥ・クライ」(No Reason To Cry)で、ボブ・デュランと憧れのザ・バンドとの競演も果たしたのが転機になったのか?、、、

ロンドン公演以外、長期なイギリスツアーはデレク&ドミノス以来6年も行っていなかった、ライブ活動の中心はアメリカツアーだったエリック・クラプトンが、長期イギリスツアーを地元イギリス人にも暖かく迎えられ成功したので、気を良くしたのでしょうか?(笑)、、、ずーっと本国イギリスに滞在し制作した久々のメイドインブリティッシュが、こちら「スローハンド」(Slowhand)。

プロデュースもイギリス人のグリン・ジョンズ。このグリン・ジョンズは、かの!ザ・ビートルズが「レット・イット・ビー」として発表する前、アルバム名は「ゲットバッグ」だった筈の編集を手がけた人(ザ・ビートルズ側にボツにされますが)なので、ザ・ビートルズファンならお馴染みだと思われますし、レッド・ツエッペリンの1枚目、初期、イーグルスのアルバムも手がけてる有名な方でございます。

レコーディングメンバーは、1974年の「461オーシャンブールバード」以来のつきあいのメンバー。気心もしれ何枚もアルバムを作りライブもこないしてきたので、エリック曰くそれがかえって「集中力に欠ける」演奏に陥りがちだった、グリン・ジョンズに言わせるとバンドリーダーのエリックが一番、集中力がなかったそうな(笑)、されどやる時はやる!エリック・クラプトンという事で、1ヶ月ぐらいでレコーディングは完了したそう。

グリン・ジョンズの問題は、エリック・クラプトンがこのアルバムは、日本でも人気の高いパティの事を歌ったオリジナル曲「ワンダフル・トゥナイト」をメインに、あとはブルースや他のカヴァー曲でいいぐらいの気持ちで、オリジナル曲をあまり用意してなかった事にあったようで、こちら「コカイン」も、JJ・ケイルのカヴァー曲。

「461オーシャンブールバード」のレコーディング時も、メンバーのジョージ・テリーに教えられるまで!エリックは自信初の!全米ナンバー1ヒットになったカヴァー曲、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」もボブ・マーリーも知らなかったそうですから、結局、こちらもエリックの代表曲になる「コカイン」(Cocaine)のカヴァー同様、バンドやシンガーが力を入れた!全曲オリジナルで固めたアルバム、時間と金をかけた本人達、本人が納得するアルバムが悲しいかな商業的には大敗北という事も、よくある話し。

音楽の世界というのは、つくずく水商売だな〜と思う次第、、、。







nice!(1) 
共通テーマ:音楽

プレゼンス・オブ・ザ・ロード ブラインドフェイス Blind Faith - In the Presence of the Lord [エリッククラプトン クリーム]





1970年前後、スーパーバンド、スーパーグループという言葉がとても流行りましたが、その大元だったのが、こちらブラインド・フェイスだったわけで、メンバーは当時クリームの大ブレイクでカリスマ的存在だったエリック・クラプトン、そしてクリームのジンジャー・ベイカー、スペンサー・デイヴィス・グループ、トラフィックのスティーヴ・ウィンウッド、そしてリック・グレッチと、それぞれ元いたバンドでは「その人あり」と言われていたメンバー達で結成されたブラインド・フェイス。

これをスーパーバンド、スーパーグループと呼んだわけで、こちら1969年6月のロンドンのハイドパークで行われたデビューライブの映像&音源のようですが、いきなり!ニューバンドのデビューライブで、当時史上最高の10万人を集めたってだけで、その人気、期待の高さはわかると思われますが、結局、スタジオ録音アルバムは1枚のみ(全英1位)、僅か半年で空中分解してしまったわけですが、そういうのも又「短くも美しく燃え」みたいなロック的な解釈で美化されていたので、ある年齢以上のコアな洋楽ファン、ロックファンには、こちらブラインド・フェイス、プレゼンス・オブ・ザ・ロード(Presence of the Lord)は、非常に!せつないグループ、楽曲だと思われます。

まあ、1960年代後半、クリームとジミ・ヘンドリックス登場によってロックシーンが大きく様変わりしたのはロック史の歴史の事実であり、やや諸般の事情でスランプに陥っていたジミ・ヘンドリックスが、解散寸前だったザ・ビートルズのジョン・レノンと自分で作ったザ・ローリング・ストーンズを自業自得なれど解雇されたブライアン・ジョーンズと一緒に、ブラインド・フェイスのようなスーパーグループ、スーパーバンドを作ろうとしてたという説もありますし、人気絶頂時に解散してしまったクリームの人気、評価、商業的成功の「ポストクリーム」の最右翼は、そのクリームのメンバーがエリック、ジンジャーと二人も居る勿論!ブラインド・フェイスに他ならなかったわけですが、ブラインド・フェイスもクリーム同様、内部分裂、空中分解してしまい、商業的、人気面で、ジミー・ペイジが作ったニューバンドの伏兵(?)レッド・ツエッペリンに、ソレはもってかれてしまったわけであります。



ブラインド・フェイス空中分解後、ジンジャー・ベイカーはそれでも未だ!次なるスーパーグループ、スーパーバンド、イギリス音楽業界を代表するメンバーを集め、自身のグループを結成しますが、商業的には失敗に終わり、1970年代のロックシーンでは影が薄くなり、エリック・クラプトンも再び!短命に終るデレク&ドミノスの後、ドラッグとセックスに溺れる引き籠もり期に70年代初頭は入ってしまい、ジミ・ヘンドリックスも70年代に入り死亡。

結局、自分達で作ったニューロック大ブームに、クリームの3人、そしてジミ・ヘンドリックスの誰も70年代初頭、乗れなかったわけです。

で!ここで!日本が特殊だったのが、当時、クリームもジミ・ヘンドリックス同様、来日しておりませんし、当時は今と違い情報も乏しい時代でしたので、今もDVD化され記録に残ってるクリームの解散コンサートを、クリームもブラインド・フェイスも解散した70年代になってからNHKで放映。日本のロックキッズ、ギターキッズは初めて!動くクリームの演奏に接し、度肝を抜かされるわけです。

更に!国内外カリスマ的人気のあったエリック・クラプトン。商魂逞しいレコード会社が放っておくわけもなく、解散後発表されたクリームのライブアルバムが2枚、ブラインド・フェイス空中分解後、サザンロック系のミュージッシャン達と作ったソロアルバム、そして例の「愛しのレイラ」のデレク&ドミノスの2枚、ブラインド・フェイスのライブアルバムとスタジオアルバムの2枚、その他、企画モノ含め大キャンペーンやって若者達に売り込んだので、なんとなーく70年代初頭、人気絶頂だったレッド・ツエッペリンや新進気鋭のキング・クリムゾン等々の当時のニューロックシーンのお歴々と、同じような感じでエリック・クラプトンだけは!捉えられていたので(エリックがラリパッパでセックスの日々の情報は入っていても)、抜群に国内外で未だ未だエリック・クラプトン人気は健在だったわけであります。

まあ、ある種のニューロックのゴールドラッシュだった70年代初頭、「ロクに仕事もせず」約3年間も!ラリパッパでセックスの日々だったエリック・クラプトンが人々に忘れられず、その「伝説」が語り継がれたのは、多分にラッキーな面もありますが、「金になる」エリック・クラプトンブランドを音楽業界が放っておかなかったのと、やはりあの!抜群のルックスの良さ!と、センスの良さも手伝った若者のファッションリーダー的役割り、ギター、ブルースの求道者的なカリスマ的風貌に、とどめをさすと思われますね。







nice!(0) 
共通テーマ:音楽

ジャック・ブルース レズリー・ウエスト West,Bruce & Laing - Politician [エリッククラプトン クリーム]





クリームのジャック・ブルースにマウンテンのレズリー・ウエスト、そしてコーキー・レイングの名前をもじって結成された、如何にも!当時の「スーパーバンド」らしいグループ名のウエストブルース&レイングの1974年に発表されたライブ音源。

プレイしてるのは、クリーム時代のお馴染みの!「政治家」(Politician)。

とにかくクリームは人気絶頂時!に空中分解しているので、しかもジミ・ヘンドリックス同様、新たなギターヒーロー、スーパーバンドのニューロック時代の幕開けのクリームは火付け役でもあったので、そのメンバーのネームバリュー、マーケットもご本人達もレコード会社も放っていては損。

当時はそのルックスの良さもあり、時代のカリスマでもあった!スーパーギタリスト!エリック・クラプトンのその後の動向が最も注目され、クラプトンの次の「スーパーバンド」はブラインドフェイスというグループらしい、ここにはクリームのジンジャー・ベイカーもいる、他にはトラフィックのスティーヴィー・ウインウッドもいる。これこそ次なる「スーパーバンド」という感じなのですが、残念ながらブラインドフェイスは短期間で再び空中分解。



クリーム3人のうち2対1の感だったジャック・ブルースも、クリーム解散後はすぐソロアルバムを制作、ジャズ、クロスオーバーファンにはその後、お馴染みになる、マイルス・デイヴィスよりも早くからジャズとロックの融合を試みていたギタリスト、ラリー・コリエルと、かの!ジミ・ヘンドリックスのバンド、エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルとマイク・マンデルとジャックはグループを組み活動しますが、こちらも短命で終わり、なんとなーく、このへんはロックの歴史で殆ど名前の出ない、ジャックの経歴であります。

ジャックはこの後、ジョン・マクラフリンの在籍するアメリカのトニー・ウィリアムスのトリオに参加したり、再びラリー・コリエルと演奏したり、ジャックがエリック・クラプトンにかわる、それ以上のギタリストと「スーパーバンド」結成を模索していたのが、なんとなーくわかる動向であります。



おそらくクラプトンより年上で音楽歴も長いジャックは(ジンジャーも)、クリームは自分の力で成功した。クラプトンは人気者だったが、けっしてクリームはクラプトンでもっていたバンドではない。という、当時は全員の不仲でクリームは解散してますので思いはジャックにあったのではないか?(ジンジャーも)と想像できますので、ジャックのこの一連の活動は、そう考えると合点もいきます。

しかしラリー・コリエルもジョン・マクラフリンも、この後のクロスオーバー、フュージョンブームの頃、それなりに注目の的になった凄腕ギタリストですが、クラプトンのような大衆のカリスマ人気を得れるほどではなく(その後もそうですが)、空中分解したとはいえブラインドフェイス、又、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンやジョン・レノンとの接触、アメリカのサザンロック寄りの活動からソロ、かの「愛しのレイラ」のデレク&ドミノスと、常に!シーンの注目の的であったクラプトンと違い、次第にジャック・ブルースがポップシーンでは影が薄くなっていったのは否めないです。



ジャックはクリーム時代からの楽曲作りの盟友ピート・ブラウン協力の元、イギリス音楽界、ブルースの重鎮、グレアム・ボンド(この前にジンジャーのバンドに加入してます)等とJack Bruce & Friendsを結成するも、1972年、商業的には失敗に終わり解散。

ここで!クリーム時代のプロデューサーだったフェリックス・パッパラルディがレズリー・ウエストと作ったバンド、商業的にニューロックのあの時代、グランドファンクやレッド・ツエッペリンと共に大成功。かの「ウッドストック」にも出演していたマウンテンがジャックのグループ解散と同じ時期に、パッパラルディとレズリー・ウエストの不仲で解散。

このマウンテンの、レズリー・ウエストとコーキー・レイングとジャックはバンドを組んだのがこちらの音源。

既に当時「伝説」であった(解散から僅か数年なのに)クリームのジャック・ブルースと、人気絶頂だったマウンテンの二人が新バンドを組んだ。世は正に「スーパーバンド」ブームの時代。この!マウンテンとクリームの合体。ウエストブルース&レイジングこそ!「スーパーバンド」の決定版と、当時の日本のニューロックファン達にも、相当!支持されていたグループが結成されたわけでありますが、又々、ジャックは暫くして脱退。このグループも短命に終わってしまいます。

ジャックはその後、ローリング・ストーンズを脱退したミック・テイラー等とザ・ジャック・ブルース・バンドを結成したり、トニー・ハイマスやサイモン・フィリップスとニューバンドを結成するも、どれも商業的な成功には至らず、ビリー・コブハム等、ジャックが組む相手は音楽ファンにはお馴染みの凄腕の方が多かったのですが、ロックの「ゴールドラッシュ」でもあった1970〜80年代、クリームのような「金鉱」をジャックは再び掘り起こす事は出来なかったわけです(ジンジャーも)。

ちなみにジャックが抜けた、こちらウエストブルース&レイニーズは再び、パッパラルディを入れマウンテンを再結成。1974年、日本公演も行いますが(ジャック在籍時に契約で決まってたとか)、やっぱりレズリーとパッパラルディの溝は埋まらずマウンテンは再び解散。

フェリックス・パッパラルディはこの後、クリーム時代のエリック・クラプトン。マウンテンのレズリー・ウエストに続き、日本のクリエイションの竹田和夫氏に着目。クリエイションとアメリカツアーを行い、クリエイションとレコーディングを本国で行い。そして日本のロックグループとしては初の!クリエイションの日本武道館凱旋公演(ソロとしてはこの後の矢沢永吉氏が初)に、パッパラルディは参加しております。





コメント(0) 

ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース Sunshine Of Your Love Toad [1970] Ginger Baker's Air Force [エリッククラプトン クリーム]





クリーム解散後、紅顔の美青年で人気者のエリック・クラプトン、スティービー・ウィンウッド、リック・グレッチ等との話題の「スーパーバンド」ブラインド・フェイス空中分解後、ジンジャー・ベイカーが更なる!「スーパーバンド」として1969年暮れに組んだ大所帯バンドが、こちらジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース(Ginger Baker's Air Force)。

今でこそクリームは、ジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースのリズム隊の再評価がされまくっておりますが、当時はも〜う、エリック・クラプトンは時代のカリスマ!、世間、マスメディアはクラプトンの同行が先ず第一!。少なくとも日本でこのジンジャー・ベイカーのニューバンドが、元クリーム、ブラインドフェイスの、あの!ジンジャーベイカーの期待のニューグループ的な、ありがちなメディアの広報を、当サイト運営者は聞いた事がありませんでした。

しかし、多分、ビジュアル的戦略も考えたであろう、フロントの白人黒人の巨乳の女性Voお二人にしろ、管楽器とパーカッションをふんだんに使った大編成バンド。映像的にはより今っぽいというか何というか、当時のハードロック編成とは全く異なるソレなのが注目ですね。



で!このジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース。なんと!空中分解したブラインド・フェイスのメンバーがジンジャーの他、スティーヴィー・ウィンウッド、リック・グレッチの3人も入ってる。

当時は「色男」の特権(笑)、マスメディアもそのカリスマ性で「聖なる者を犯すべからず」みたいな扱いだったクラプトンですが、こうみると「スーパーバンド」ブラインド・フェイスの空中分解は、クラプトン側に何か問題があったのではないか?と勘ぐりたくなってしまいますね。

ギターの元ムーディ・ブルースのデニー・レインはこの後、ご存知!ポール・マッカートニーのウイングスに参加してますし、管楽器はトラフィックのクリス・ウッドにイギリス音楽界のブルースの重鎮、グレアム・ボンドだし、こちらのバンドもブラインドフェイスに負けず劣らずの当時のイギリス音楽界の「スーパーバンド」って感じの、凄いメンバーでございます。

まあ、商業的に成功とはいかなかったようで、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースは短命に終わりましたが、当時のマイルス・デイビスとその門下生達、初期アース・ウインド&ファイヤー、サンタナ、ウォー、そしてオシビサなどと共に聴いてみると、ジンジャーが何を目指していたか?なんとなーくわかると思います。




コメント(0) 
共通テーマ:音楽

エリック・クラプトン Eric Clapton - Wonderful tonight [エリッククラプトン クリーム]





1974年9月。ボブ・マーリーのカヴァー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(I Shot The Sheriff)が、自身初の!全米1位を記録した翌10月、待望の!初来日を果たしたエリック・クラプトン。

リアルタイムはスーパーギタリスト!エリック・クラプトンの期待を大いに裏切られたと、あまり評判のよくなかった(汗)初来日公演でしたが、思えばその後、脈々と続くエリック・クラプトンのスタイルは、あの来日公演あたりから完成してたのではないか?と思ったりしております。

思うに女性に限らず男も、ルックスが良いと得だなと(笑)、、、

当時のエリック・クラプトンは重度のドラッグ中毒からやっと治るきざしが見えた、友達(ジョージ・ハリスン)の奥様、パティを寝とった、パティだけじゃなく沢山の女性と関係を持っていたプレイボーイで、そしてこの後、今度は重度のアルコール中になる、普通に考えると「とんでもない奴」なわけですが(笑)、クラプトンのルックスというのは母性本能をくすぐるのでしょうか?あまり女性達から、酷く言われた事はありませんでした。

これ、日本の芸能人が同じ事やってたら、日本人女性は総スカンをくらわすのではないでしょうか?(笑)、、、。

女性に限らず、何故か?そのルックスとかもし出す空気、雰囲気で男もまた、妙に!父性本能を刺激されるようで、エリック・クラプトンは男性ファン、うるさ型のギターキッズ、ロックフリークに文句百万だれ言われるわりには、常にそのプレイ、同行は注目され続ける、類希なる恵まれたミュージッシャンなのであります。

そんなエリック・クラプトンの、こちらも1977年全米2位の好セールスを記録したアルバム「スローハンド」(Slowhand)の中から、お馴染みの!「レイラ」同様、パティ・ボイドの事を歌った「ワンダフル・トゥナイト」onderful Tonight。




コメント(0) 
共通テーマ:音楽

クリーム/Cream - Sunshine of your Love [エリッククラプトン クリーム]




リユニオン・ライヴ-アット・ロイヤル・アルバート・ホール2005 [DVD]
解散してしまい70年代には存在していなかったクリームを、「70s」と謳ってる当サイトで取り上げるのは恐縮ですが、クリームはジミ・ヘンドリックス同様、来日しておらず、殆どの日本人はクリームもジミ・ヘンドリックスも、映像と音源でしか経験がなく、NHKの「ヤングミュージックショー」でクリームの有名なこちら、英国ロイヤル・アルバート・ホールでのラストライブが放映されたのが1972年5月。で、この映像はリアル1968年11月のソレであり、これだけ当時の日本のロックキッズ達には、「動くクリーム」「動くエリック・クラプトン」を目の当たりにするのにタイムラグがあったわけで、更に解散後発売されたアルバム「ライヴ・クリーム - LIVE CREAM」は1970年の発売、「ライヴ・クリーム Vol.2 - LIVE CREAM Volume 2」は1972年の発売で、日本での発売は英国や米国より若干少し遅かったと思われます。


カラフル・クリーム
で、1972年と言えば当のエリック・クラプトンは有名なドラッグとセックスの日々の隠遁生活(何故か?未だに羨ましいと不謹慎に思う管理人です。笑)の真っ最中で、遠い島国日本で、初めて!動くクリーム、動くクラプトンの演奏をTVで目の当たりにした、「クリームの素晴らしき世界」のクロスロードや、「グッバイクリーム」でのアイムソーグラッドでのライブ演奏、そして解散後だされた2枚のクリームのライブアルバムでの「ギターヒーロー!凄い!エリック・クラプトン」と、クリーム解散後、発表されたデレク&ドミノスやデラニー&ボニーとの、ちょっとクリーム時代とは違う、ややレイドバック気味のエリック・クラプトン。スーパーバンドと言われたややクリームに未だ近いブラインドフェイスでのエリック・クラプトン。

日本のギターキッズ、ロックキッズ達は、どれが今のクラプトンなのか?当時、混沌としてたんですね。更に!日本人にレゲエという音楽を初めて大々的に浸透させる事になる、1974年9月14日付のシングルチャートで、ボブ・マーリーのカバー曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」I Shot The Sheriffで、自身初のナンバー1を獲得、その翌年、待望の!初来日公演を果たすわけですが、、、。



その「ニュー弾き語りクラプトン」は、リアルタイムは賛否両論、いや否定論の方がロックキッズ、ギターキッズ達には多く、ブルース・ブレイカーズ、クリーム、せいぜいブラインド・フェイス迄が、ギターヒーロー、エリック・クラプトンのピークだったというのは、今もだいたい定説になってるわけで、クラプトン自身もギターヒーローからは自ら降りたと、ずーっと!述べてる、あれ以降、ギタリストというより、弾き語りのエンターテイメイト、ニューエリック・クラプトンは、商業的にも人気も爆発的にブレイクし続けたわけですから、仕事として考えた場合、クラプトンのこの転機というのは大正解だったと言えるわけですが、ギターヒーローエリック・クラプトンを求めていた当時のロックキッズ、ギターキッズ達は、がっかりしつつも(今度こそは)とクラプトンのアルバムがでる度、必ず!聴く、買う(笑)ので、結局、エリック・クラプトンはエンターテイメントの新たなクラプトンファンにも、コアなロックキッズ、ギターキッズ両方から、レコード、CD、DVD、ライブまで、常に!興味をもってもらえ買ってもらえる、かなり恵まれたミュージシャン生活を送れたと、管理人は思っております。

思うにやはり、今更ながらクリームというのは、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーのバンドだったんだなと、エリック・クラプトンがある時期からクリームの曲もソロで演奏しておりますし、また、バックのメンバーも素晴らしい方ばかりなのに、何故か?クリームのような充実感を感じないと、お嘆きのクラプトンファンの方、多いのではないでしょうか?。今更ながら、やはりこのお二人のリズムセクションこそが!クリームだったんだと、痛感させられまする。

このお二人のリズムセクションは「ワンアンドオンリー」ですね。誰も真似できない。誰もかわりはつとまらないし、又、ジャックもジンジャーも他の誰と一緒にやってもクリームにはならない、ジャックとジンジャーだからなし得た「ロックの魔法」の1つだったと、今更ながら思う次第でございます。


洋書ギタースコア エリッククラプトン


コピー&タブ譜 エリック・クラプトン・ソングブック[輸入版]


エリック・クラプトン奏法 「クロスロード」1曲マスター [DVD]


クリームの素晴らしき世界


フレッシュ・クリーム


ライヴ・クリームVOL.2

ライヴ・クリーム

グッバイ・クリーム

nice!(0) 
共通テーマ:音楽

Eric Clapton ♫BEHIND THE MASK エリッククラプトン [エリッククラプトン クリーム]






オーガスト
日本の Yellow Magic Orchestra  YMO 坂本龍一氏の曲をエリック・クラプトンがレコーディングし、そしてこちら1987年の映像&音源「プリンストラスト」。英国皇室主催のライブで演奏するというのは、アルバム発売当時は「クラプトンまでテクノか」と冷ややかな反応が、日本でもなきにしもあらずでしたが、純粋に日本人としてやはり嬉しい映像であります。

1970年代ラストを飾った1979年9月発売、1980年アルバム売り上げ1位。第22回日本レコード大賞アルバム賞を受賞した、空前のテクノブーム!を巻き起こす事になるYMOの大ヒットアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」SOLID STATE SURVIVOR。そのB面1曲目が、こちら「ビハインド・ザ・マスク」BEHIND THE MASK 。

この曲を、アメリカの音楽プロデューサーの重鎮でありミュージシャンであるクインシー・ジョーンズが気に入り、マイケル・ジャクソンの1982年12月発売の、世界中で売れに売れたあの!アルバム『スリラー』Thrillerレコーディング時期に、マイケルによる補作詞及びメロディを追加しカバーバージョンを録音。

結局、マイケル側が作曲のクレジットと版権の50%を要求、YMO側がこれを拒否。


パルス(紙ジャケット仕様)
また、アルバム「スリラー」のコンセプト、流れに沿わないなどの理由で、アルバムには収録されず録音トラックはお蔵入りとなるも、「スリラー」の共同プロデューサー、キーボード奏者であったグレッグ・フィリンゲインズが、自身のソロアルバム「パルス」pulusのA面1曲目に「ビハインド・ザ・マスク」BEHIND THE MASK をとりあげ、更にグレッグ・フィリンゲインズは当時、エリック・クラプトンのバックバンドメンバーだったことから、1986年、エリック・クラプトンのアルバム「オーガスト」Augustに、まわりまわってマイケルバージョンのカバーが収録される事になったわけです。

グレッグ・フィリンゲインズは、1991年のジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの日本公演にも帯同しております。

ちなみにマイケル・ジャクソン死去後、2010年12月リリースされたアルバム『MICHAEL』に、「スリラー」から28年の時を経、マイケルバージョンの「ビハインド・ザ・マスク」BEHIND THE MASK は発表されております。


エリック・クラプトン&フレンズ/ライヴ・アット・モントルー 1986 [DVD]
MICHAEL



バンドスコア YMO/BEST COLLECTION

nice!(0) 
共通テーマ:音楽

LAYLA - ERIC CLAPTON / いとしの レイラ - エリック・クラプトン [エリッククラプトン クリーム]





クリーム、ブラインドフェイスで、その類希なるルックスも相まってスーパーギタリストと世界でカリスマ的な大人気を得たエリック・クラプトンが作ったバンド。デレク&ドミノス。

ビルボードで1972年8月5日に週間ランキング最高位、第10位を獲得した、この有名な!天下の不倫ソング!、「いとしのレイラ」(Layla and Other Assorted Love Songs)は、有名高名、上手い下手問わず、エリック・クラプトン以外の人に演奏されても、心にあまり響かないと感じる、古のロックファンのオッサン、熟女多くないかしら?。当サイト運営者はそうなんですけど。




作詞・作曲は、エリック・クラプトンと、デレク&ドミノスのドラマー、ジム・ゴードン。

エリック・クラプトンが、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンの奥方、パティ・ボイドに惚れてしまって、パティ・ボイドをレイラと名をかえ、その心のうちを熱唱してる曲だってーのは有名ですし、又、エリックのドラッグ中毒が原因でデレク&ドミノスは短命に終わるわけですが、この曲の共作に名を連ねるドラマーのジム・ゴードン(エンディングのピアノ部分。されどこの部分の本当の作曲者は、ジムが当時つき合ってたリタ・クーリッジだという説もあります)。

こちらも、ジョン・レノンの「イマジン」「パワートゥザピープル」はじめ、セッションマンとして高名な方々との仕事をこなし、栄光の!70年代を築くのですが、強度なドラッグ中毒の悪影響で、錯乱状態の中、母親を銃殺するという事件を起こしてしまい、その音楽キャリアを終えている、凄い人生を過ごしてる方であります。

1994年、「レイラ」はグラミー賞の楽曲賞を受賞しましたが、受賞されたエリックとは対照的に、ジムは服役中(刑期を過ぎた今『2001年』も入院してるので、事実上の終身刑なのでしょう)。

この曲でも大活躍の、ギターキッズには有名なスライドギターの名手、デュアン・オールマンは、この後、1971年、バイク事故により死去も、わりと有名ですが、そんなメンバー達の人生をも感じて聴くと、エリック・クラプトとパティ・ボイドとの天下の不倫関係だけではなく、更に色々な思いを感じ聴けるのではないか?と思う、こちらは1曲でございます。






洋書 ギタースコア エリッククラプトン


洋書 ギタースコア エリッククラプトン


いとしのレイラ(40周年記念スーパー・デラックス・エディション)(DVD付)


トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

アイ・ショット・ザ・シェリフ エリック・クラプトン Eric Clapton. I shot the sheriff [エリッククラプトン クリーム]




461 Ocean Boulevard
1974年、アイ・ショット・ザ・シェリフ( I shot the sheriff)収録アルバム、「461オーシャンブールバード」。

発表された頃は、未だエリック・クラプトンにブルースブレイカーズやクリーム、ブラインドフェイスでの「スーパーギタリスト」クラプトンを期待するハードロックファンも多かったわけですが、このジャマイカではなくマイアミ録音の「マイアミレゲエ」に、当時のマウンテンやグランドファンク、レッドツエッペリン、ディープパープルに熱狂していたハードロックファンは意表をつかれたわけで、なんたって当時、日本でレゲエなんて殆ど誰も知らなかった、実は日本でレゲエミュージックを一般的に広く認知させたのは、この「マイアミレゲエ」アルバムであり、エリック・クラプトン自身初の!アルバム、シングル共に全米1位を記録した、この作品からなんですね。

数年に渡る、それまでの大成功で築いた英国の大邸宅での、ドラッグとセックスに明け暮れていた「引き蘢り」生活をしてたエリック・クラプトン本格再始動は、当時かなり!世界中で話題であり、かの!「愛しのレイラ」、デレク&ドミノス時代のベーシスト、カール・レイドルに先ず声をかけ、プロデュースにクリーム時代からのクラプトンお気に入りのレコーディングエンジニア、トム・ダウトを選び、で、このニューバンドメンバーのセッションギタリスト、ジョージ・テリーに教えられるまで、エリック・クラプトンはボブ・マーリーを知らなかった、テリーにボブ・マーリーのアルバムを聴かされ、曲をカバーしたら、自身初の全米1位に輝いてしまったエリック・クラプトンの持って生まれた強運!には、脱帽でございます。



ただ、この「マイアミレゲエ」のシングル大ヒットが収録されてるのでアルバムも売れ、エリック・クラプトン復活は成功しましたが、実際にはリアルタイム、ギターヒーロークラプトンを期待していたキッズ達には、この映像でもわかる通り今は「当たり前」ですが、女性コーラスを交え「歌を唄う」クラプトン、クリーム時代のようなソロを弾かないクラプトン、所謂レイドバック、くつろいだ、のんびりとした、ゆったりしたクラプトンに、実は!「なんだかな〜」の拍子抜けを感じさせたのも事実現実であり、今の今迄!エリック・クラプトンへのオーディエンス側の評価というのは二分してるわけです。

「ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインドフェイス時代のクラプトンは好きだけど、最近のクラプトンはあまり好きじゃない」。「年齢的に最初がアイショットザシェリフだったから、それ以前のスーパーギタリストクラプトンのイメージが自分にはないから、このクラプトンが好き」。

1974年頃から、ずーっと!繰り返されてます(笑)。




マイナスワンCD付 エリッククラプトン/ブルースギターカラオケ 不滅の名曲をカラオケCDとTAB譜で完璧マスター


洋書バンド・スコア ベストオブ・エリッククラプトン【改訂版】


洋書バンドスコア エリッククラプトン アコースティックコレクション

トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
エリッククラプトン クリーム ブログトップ
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。