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1975年全米1位を記録した、スコットランド出身の白人ファンクバンド Average White Band - Pick up the pieces [アベレージホワイトバンド]








わりと再結成後の映像と思われます。1975年、インスト曲としては異例の!しかもスコットランド出身の白人ファンク、ソウル、R&Bバンドで初の!全米1位をマークした「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」。

当初はその名の通り、ホワイトバンド、白人バンドだったわけで、60年代の英国白人ロックバンドが、アメリカ黒人のR&B、R&R、ブルースに触発されていたのは、ちょっとした音楽ファンなら常識でありますが、こちらアベレージホワイトバンドも、1973年、英国の自宅大邸宅でドラッグセックスに溺れる日々(愚者につき羨ましく、そして憧れてしまう。笑)を送るエリック・クラプトンを、再び音楽シーンに戻す為にフーのピート・タウンジェンド、ロン・ウッド、スティーヴ・ウィンウッド等が行なった、クラプトンの久々にライブ、「レインボウシアター」でのソレのサポートバンドに選ばれていたのが、このアベレージ・ホワイト・バンド。

こちらの映像のオリジナルメンバー、英国風スカート姿(?)のヘイミッシュ・スチュアートは、ザ・ビートルズのポール・マッカートニーの1990年前後のツアー&レコーディングメンバーに抜擢されてますので、ポールの日本公演で、ヘイミッシュを知らずとも、アベレージ・ホワイト・バンドを知らずとも、無意識にみてる方、日本にも大勢おりますね(笑)。

エリック・クラプトンのレインボウシアターライブで有名になった(一般的にではなく業界内で)アベレージ・ホワイト・バンドはその翌74年、アメリカNYに渡り、75年にこの全米1位、当時の日本の踊り場でも人気の高かった大ヒット曲を発表、大ブレイクするわけで、又、クラプトンもクラプトンで、74年にボブ・マーリーのカバー、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」(I Shot The Sheriff)で、自身初の!全米1位を記録しており、こちらも当時の日本の踊り場ではよく使われていて、ロックに興味のない踊り場のツッパリ坊が、何故か?クラプトンのこの曲だけは!シングルレコードが家にあったなんて、今は昔の話しでございますが、あったんですね(笑)。

で、人気抜群のエリック・クラプトンがレゲエをカバーし大ヒットさせた事で、日本はじめアメリカ、そして世界にレゲエという音楽を認知させたわけで、下世話な話し、ボブ・マーリーには当然、莫大な印税、著作権料が入ってると思うので、この後、マーリーももの凄い人気者になるわけですが、音楽活動をするうえで苦労する「金」の工面には相当なったのではないかと思っております。

70年代初頭は、今もコアなファンには人気の高い、大型黒人ファンクバンドが次々デビューし、ニューファンクやニューソウルともどもアメリカで人気を得るわけで(日本ではあくまでも、一部の踊り場に通う、非行少年少女だけの未だムーブメントでしたが)、英国の白人ファンクバンドが、米国で、しかもインストファンクナンバーで1位になったという事実は、白人でもファンクが出来る売れる(ブルースもしかりですが)という白人の自信を得たでしょうし、同じ時期マイアミの白人黒人混成バンド、KC&ザ・サンシャインバンドの商業的大成功と共に、この後、70年代後半のビージーズの「サタディナイトフィーバー」以降の空前の!ディスコブームからその後のユーロビートで、白人達がファンクビートを取り入れたダンスミュージックを、やたらと!やるようになる、日本でも91年のバブル崩壊頃のジュリアナまで、流行に流行ったユーロビート、そしてレゲエ人気のとっかかりは、正に!この時代だったと言ってもよいと思われます。





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