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ジュニアズ・ファーム ポール・マッカートニーPaul McCartney - Junior's Farm [ポールマッカートニー&ウイングス]





ポール・マッカートニーお得意!の、シャッフル系のご機嫌に楽しいR&Rナンバー。「ジュニアズ・ファーム」(Junior's Farm)。

この当時のポール・マッカートニーはアルバム、シングル共に正に!絶好調であり、1974年1年だけで「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」そしてこちら「ジュニアズ・ファーム」(Junior's Farm)の3枚のシングルヒットを出しており、案外、今の(2013年)40代後半から50代前半のザ・ビートルズファンは、この当時のウイングスのポール・マッカートニーの影響で、後追いで解散して既になくなっていたザ・ビートルズを知った方、多いと思われます。

それほど当時、ポール・マッカートニー&ウイングスの楽曲はラジオでも喫茶店の有線放送でも、街のレコード屋さんの店先からでも、普通に誰もが耳に入る環境にあったほど、まるでザ・ビートルズ時代ばりの連続ヒットを飛ばしており、「ジュニアズ・ファーム」(Junior's Farm)はアルバムからのシングルカットではなく、シングルヒットさせる為のシングル盤で、これもザ・ビートルズによく見られたやり方でした。

まあ、軌道にのりつつあったウイングスなれど「バンド・オン・ザ・ラン」のレコーディング前に、ギターのヘンリー・マッカロクとドラムのデニー・シーウェルが相次いでグループを脱退。結局、ウイングスはポールとリンダ夫妻とデニー・レイン(G&Key)の3人になってしまいましたが、ザ・ビートルズ解散後、最大の大ヒットにアルバムに「バンド・オン・ザ・ラン」はなり(ドラムレスの3人でレコーディングですから、ドラマー!ポールも聴けて楽しいアルバム)、ポールはライブをやる為にメンバーを新たに二人、オーディションで加入させます。

それが、こちらのシングル「ジュニアズ・ファーム」(Junior's Farm)から加入した、そのルックスの良さもありこの後グループの人気者になるギターのジミー・マッカロクと、ドラマーのジェフ・ブリトン。

が!ジェフ・ブリトンはこのシングル時期だけで脱退しており(デニー・レインと合わなかったらしい)、ここで再び!ドラマー、ポール・マッカートニー登場というわけにはポールはライブに意欲を燃やしていたのでならず、セッションドラマーのジョー・イングリッシュを加入させ、ここに!ウイングス最強ラインアップ、ポール、リンダ夫妻にデニー・レイン、ジミー・マッカロク、ジョー・イングリッシュが揃ったわけであります。

結局、1971年の結成から1981年解散のウイングスで、1962年デビュー1970年解散の60年代のザ・ビートルズに続いて70年代も世界制覇を、グループとしてポール・マッカートニーは果たしたわけですから(勿論それ以降のソロになってからの仕事も素晴らしいですが)、まったく凄いミュージッシャンだと思い知らされます。






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Paul McCartney & Wings/ハイ・ハイ・ハイHi,Hi,Hi [ポールマッカートニー&ウイングス]





ポール・マッカートニーがザ・ビートルズ解散後、デジタルMTRで高名無名、国内外問わず多くのプレイヤーサイドの方がやられており、今ではどうって事のない話しですが、何かと当時は物議を投げかけた全楽器を一人で演奏する多重録音のソロアルバムを2枚発表後、結成したバンド、ウイングス名義3枚目のシングル盤、「ハイ・ハイ・ハイ」(Hi,Hi,Hi)。

ウイングス名義になってからも、ザ・ビートルズ解散の責を小野洋子さんと共に、心ない批評家やファンにリアルタイムは一身に背負わされていて分の悪かったポール・マッカートニーは、ウイングス結成後も暫くは誹謗中傷の対称になっており、ウイングス名義のソロシングル第一弾、ポール・マッカートニーには珍しいプロテストソング「アイルランドに平和を」(Give Ireland Back to the Irish)は、政治色が強過ぎるせいか?イギリスでは国営BBC放送をはじめ、多くのメディアで放送禁止処分を受け(アイルランドでは勿論!堂々1位)てしまった。

で、第二弾の「メアリーの子羊」(Mary Had a Little Lamb)は一転!童謡のような可愛い曲なのが災いして、ポール・マッカートニーは何を考えてるんだ?と、まあ、日本では「メアリーの子羊」(Mary Had a Little Lamb)それなりに売れましたが、又々、批評家の攻撃の対称になってしまった。

一方、元ザ・ビートルズのジョン・レノンの「イマジン」は絶賛され!ジョージ・ハリスンの「マイ・スィート・ロード」やバングラデッシュのコンサートも絶賛され!リンゴ・スターの「明日への願い」も大ヒット。非常にザ・ビートルズ解散後、暫くするまでポール・マッカートニーは分が悪かったわけであります(商業的にはアルバムもシングルも、それなりの成功は収めてますが、あの!ザ・ビートルズのポールにしてはイマイチの記録)。



で!第三弾がこちら!如何にもポール・マッカートニーらしい軽快で楽しいグルーヴィングなR&Rナンバーですが、歌詞に猥褻な表現があると又々!国営BBC放送から放送禁止処分を受けてしまいましたが、イギリスではウイングス初のトップ5入りを果たすヒット。日本でも何やらポールが助平な歌を歌ってるらしい、スィートバナナは男のポコチンを指してるらしい、後半のテンポアップの部分や声は、セックスの絶頂期を表してるなどと、色々、色気ずいたオバカな童貞少年達に話題になり(笑)、かなりのヒットになり、次の全米1位を獲得し遂にこれにて心ない批評家やファンを黙らせる事になる、この後のポール・マッカートニー&ウイングスの大ブレイクのとっかかりになる第4弾「マイラブ」の起爆剤に、こちら「ハイ・ハイ・ハイ」(Hi,Hi,Hi)のヒットはなったと記憶しております。

まあ、「マイラブ」収録のアルバム、「レッド・ローズ・スピードウェイ」(Red Rose Speedway)から、「バンド・オン・ザ・ラン」 (Band on the Run)、「ヴィーナス・アンド・マース」(Venus And Mars)と、たて続けに秀逸なアルバムを発表し、1960年代のザ・ビートルズに続き1970年代もウイングスでポールは世界を制する事になるわけで、案外、今の(2013年)50代半ば以下から50才前後の人は、ウイングスのポールでザ・ビートルズを知った人、ザ・ビートルズのファンになった人、又、ザ・ビートルズ時代は子供だったからわからない、ウイングスのポールの方が好きって人、多いと思われます。

そんなポール・マッカートニーが放った、こちらザ・ビートルズ解散後、本人もファンもなんとなーくもやもやしてた気分を、一気に吹っ飛ばしてくれた、如何にも!ポールらしいご機嫌なR&Rなナンバーでございます。

ちなみに、日本盤シングルジャケットは、見開き両面にポールの写真を鏡写しに配しているのですが、誤って裏焼き側が表ジャケットになってしまい(印刷会社とレコード会社の校正ミス?)、左利きのポールが右ききで映っています(汗)。




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ビーナスアンドマース-ロックショー-ジェット Venus and Mars - Rock Show - Jet - Paul McCartney And Wings 1976 Remastered [ポールマッカートニー&ウイングス]





「ロックシュー」でジミー・ペイジの名前が出たのが、やたらと新鮮だったリアルタイム。わりとウイングスがリアルタイムで、ウイングスのポール・マッカートニーでザ・ビートルズを後追いで知った(この場合、とっかかりは青盤、赤盤でしょうか?)という、2012年現在、50才前後になる方に若い頃よくお会いしました。

世代的に実に正直な感想だと思います。ザ・ビートルズは1970年には解散して存在しておらず、この世代の方々が思春期の頃はポール・マッカートニー、ウイングスが大ブレイクしていた時期ですから。

今は色々な資料が揃っているので、けっしてそのような経緯、事情ではないのが、知れ渡っておりますが、リアルタイム当時のザ・ビートルズ解散頃は、小野洋子さんと悪名高きアラン・クレインと共に、ザ・ビートルズ解散の「戦犯」としてメディアにも心ないファンにも誹謗中傷されていたポール・マッカートニー。

商業的にはそれなりの(元ビートルズメンバーとしては、物足りないという評価)成功を収めていた、ソロアルバムなれど、なんだーかんだとケチつけられ批評の対称になっていた70年代初頭のポール・マッカートニーが、正に!言論ではなく音楽、作品で批評家、メディア、それに追随する心ないファンを黙らせるのが、1973年ビルボード1位を獲得したシングル「マイラブ」と、アルバム「レッド・ローズ・スピードウェイ」(Red Rose Speedway)。



ここからポール・マッカートニーの大逆襲が始まり(笑)、シングルヒットした「ジェット」(Jet)、アルバム「バンド・オン・ザ・ラン 」( Band on the Run)、「ヴィーナス・アンド・マース 」 (Venus and Mars)が売れに売れ続けた、こちらは人気大ブレイクの1975年9月、イギリスからワールド・ツアーを開始。オーストラリアを経由し、1976年のヨーロッパ・ツアー、大規模なアメリカ・ツアーを行った、そのアメリカツアーのベスト音源を集めた、当時3枚組アルバムだった「ウイングスU.S.A.ライヴ!!」(Wings Over America)の冒頭、オープニングのメドレー「ヴィーナス・アンド・マース/ロック・ショー/ジェット」(Venus and Mars/Rock Show/Jet)。

それ以前は天下のポール・マッカートニーなら、妻リンダに限らずもっと高名なミュージッシャンを集めた、当時流行りだった「スーパーバンド」が作れるだろうにと、ウイングスのメンバーが軽んじられる風評にありましたが、ポール・マッカートニーの選んだ素晴らしいメンバーである!と、ここでも又、メディアの評価が完全にひっくり返った(笑)アルバムでもあり、元々「ウイングス」というバンドを結成したポールでしたが、ウイングス名義ではレコードセールスに影響がでるので、「ポール・マッカートニー&ウイングス」と名乗るようレコード会社に命ぜられていたのが、このへんから再び「ウイングス」になってるのも注目でございます。

正に!ウイングス、人気絶頂期のライブ音源、映像でございます。

ウイングス
ポール・マッカートニー: Bass guitar, guitar, piano, keyboards, vocals.

リンダ・マッカートニー: Keyboards, percussion, piano.

デニー・レイン: Guitars, bass guitar, piano, keyboards, percussion, harmonica, vocals.

ジミー・マッカロク: Guitars, bass guitar, vocals.

ジョー・イングリッシュ: Drums, percussion.

ちなみにこの時期、では何故?日本公演はなかったのか?理由は簡単です。マッカートニー夫妻の大麻逮捕歴が、日本のお役所の入国審査にひっかかったからであります(この数年後、日本公演にきたポールが大麻持ち込みで逮捕されたのは有名ですね。きっと有名人なのできつくマークされていたのでしょう)。





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ポール・マッカートニー 007 死ぬのは奴らだ Live and let die - Paul Mc Cartney (español ingles) [ポールマッカートニー&ウイングス]





ザ・ビートルズは1970年代には解散して存在していなかったので、当時、かなり売れた、私的にはベストアルバムとは思ってませんが(選曲)、初期のヒット曲を集めた「オールディーズ」以来、当時、初のベストアルバムとして発売された、所謂「青盤」「赤盤」と、ソロになったヒット曲を連発してたポール・マッカートニーで、ザ・ビートルズを知った、ファンになったという方、2012年、今現在、50代前半から後半の方で、多いと思います。

「マイラブ」の所でも触れましたが、ザ・ビートルズ解散というのは、世界的に当時、もの凄いニュースであり、その責を心ないファンや批評家に一人でポールは背負わされていた感もあり(当時は)、又、他のお三方よりソロになってからの今は高い評価を受けてる作品は、評論家たちの批評の的になり、商業的にも大成功とはいえなかったうえ(元ビートルズとしての評価。一般的にはヒット作ですが)、第二のビートルズを期待していたビートルズファン達には、ポールが結成したウイングスは当初、実験的な所もあり、批評家達に「だからポールは」と餌食になったわけですが、ポールは「言論」ではなく、音楽家らしくこの後の作品で、これら酷評を静めたわけです。

ウイングス名義2枚目のアルバムからのシングル「マイラブ」の大ヒット、有名な007シリーズのテーマ曲、この「007 死ぬのは奴らだ」(Live and let die)(全米2位)、そしてアルバム「バンド・オン・ザ・ラン 」(Band on the Run)、「ヴィーナス・アンド・マース 」 (Venus and Mars)、「スピード・オブ・サウンド 」(Wings at Speed of Sound)の連続大ヒット、そこからシングルカットされた「バンド・オン・ザ・ラン 」( Band on the Run)、「ジェット」( Jet)、「あの娘におせっかい 」( Listen to What the Man Said)、「心のラヴ・ソング 」(Silly Love Songs)が1973年から76年にかけイギリス、アメリカ、日本で大ヒット。

批評家達のポール・マッカートニー叩きを、ポールは秀逸な作品とファンの人気の後押しで黙らせ、終わらせたんですね。 ポール・マッカートニーはやはり不世出の天才であったと、空気が一変しましたから(笑)。

ポール・マッカートニー
by カエレバ


楽譜 ベスト・オブ/ビートルズ(完全版)(バンド・スコア)
by カエレバ

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ソロになって初の大ヒットナンバーだったポール・マッカートニーのマイラブ MY LOVE - Paul McCartney & Wings - 1973 [ポールマッカートニー&ウイングス]





ザ・ビートルズ解散時、マスメディアと心ないファンから、その解散の責任を1人で背負わされ悪役になっていた感のあるポール・マッカートニー。

何とザ・ビートルズ解散後、最もメンバーでシングルナンバー1ヒットが遅れたのが、ポール・マッカートニーで、今では再評価の高い、解散後すぐに出されたソロアルバム『マッカートニー』、翌1971年に発表されたシングル『アナザー・デイ』(全英2位、全米5位)、アルバム『ラム』。特に妻のリンダとの連名で発表した『ラム』は前作「マッカートニー」同様商業的な成功こそ収めたものの、リンダが音楽的な実績がなかった事もあり、評論家からは手厳しい批評を受けており(それでも自分を貫いたポールの頑固さが好き)、更に!ウイングスのファーストアルバム「ワイルド・ライフ」が前ソロ2作に比べ、商業的にも不発(ったってチャートで10位ぐらいまでいったので、ポール、元ビートルズとしてはという意味。他のバンド、シンガーなら大ヒットである)。

ポール・マッカート二ーは、「イマジン」で大絶賛されたジョン・レノン、シングル「明日への願い」、「マイスィートロード」でチャート1位を獲得していたリンゴ・スター、ジョージ・ハリソン、更にはこのお二人「バングラデッシュのコンサート」でも名を馳せていた時期でもあり、風向きが悪かったのですが、このシングル「マイラブ」の大ヒット(ビルボード1位)によって風むきは一転!、これからポール・マッカートニー&ウイングスの快進撃に、70年代もなったわけです。


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70年代抜群の人気を誇っていた、ポール・マッカートニー率いるウイングスのバンドオンザラン Band on the Run - PAUL McCARTNEY & WINGS [ポールマッカートニー&ウイングス]








リアルタイムは、ザ・ビートルズ解散の責任を一身に背負わされ、悪者としてマスメディアや世間の矢面にたたされる中、2枚のソロアルバムも商業的にはそれなりの成功を収めましたが、マスメディアは酷評。ウイングスのファースト・アルバム『ワイルド・ライフ』は2枚のソロアルバムよりも商業的には震わず、マスメディアはウイングスに音楽的には当時、素人だった妻のリンダが加わっていた事や、時代の風潮がスーパーセッション、オールスターバンド的なものをもてはやし、期待していた事もあり、ポールにもその期待があったのか?「自分を過信せず、ちゃんとしたメンバーと仕事しろポール」的なソレがあったので、「それみた事か」と鬼の首とったように痛烈に批判、酷評。

70年代のポール・マッカートニーの船出は、荒波の中スタートしたわけですが、シングル「マイラブ」の全米1位の大ヒット!、007シリーズ「死ぬのは奴らだ」も連続大ヒット、アルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』も全米1位を獲得し、やっと!マスメディアのポール叩きが終わるわけですが、次作「バンドオンザラン」レコーディング前に、ウイングスはメンバー2人が脱退、アルバムはリンダとデニー、そしてポールの3人でレコーディングされ、多くの楽器をポールが多重録音で1人でレコーディングしているそうで、スタジオオリジナルバージョンは、ドラムもポールが叩いてるそう。

アルバム「バンドオンザラン」は、ビートルズ時代のホワイトアルバムあたりから、ソロアルバム経由しての、ポール・マッカートニー一人多重録音の集大成なのかもしれないな〜、なんて思って聴いてると、このアルバム面白かったりします。



結局このアルバム、全米全英1位を獲得、商業的にもビートルズ解散後、最大の!ポール・マッカートニーの大ヒット作になり、マスメディアの評価も一転、大絶賛。ポール様は凄いの大合唱(笑)。ウイングスのコンサート活動再開を思案するポールは、新たなメンバー選考のオーディションを行い、新生ウイングスは再スタートするわけですが、ウイングス解散後のソロ活動含め、ポールが選ぶミュージシャンは、ある種の「オールスター」的な、誰もが知る名のなあるソレではない、無名、或いは裏方の渋い選択であり、思えば4弦のバンジョーのコードしか知らなかったので、6弦ギターに4弦だけはって、バンジョーのコードでギターをかき鳴らし歌ってたジョン・レノンの「天才」を見抜き、一緒にやろうと思ったポールなわけですから、ミュージシャンをみる眼力、才覚も天才的なのでしょうね。 

1980年、日本の成田空港で大麻所持で逮捕され日本中を大騒ぎさせたポールでしたが、同年末NYでジョン・レノンが射殺されてしまい、70年代メディアもファンも、強い願望として、しょっちゅう「ビートルズ再結成!か?」と、東スポの赤見出しのように話題が出ては消えしてたわけですが、それも永遠に叶わぬ夢になってしまったわけですね。

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