So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

メロディフェア ビージーズ/Melody fair-Bee Gees [ビージーズ]




Best of Bee Gees 1 (Ocrd)

オーストラリアで先ず人気を得た、ギブ三兄弟は、オーストラリアクイーンズランド州生まれでロンドン育ちのドラマー、コリン・ピーターセン、シドニー出身のヴィンス・メロニーをリードギターに迎え、ビージーズは5人編成として1967年5月にポリドール・レコードより「ニューヨーク炭鉱の悲劇」The New York Mining Disaster でレコード・デビュー

日本でも66~68年のグループサウンズ、GSブームの頃、ビージーズは日本でもアイドル的に人気が高く、GSもビージーズのカヴァーをアルバム収録しておりますが、この当時のビージーズのヒット曲、「ラヴ・サムバデ 」 To Love Somebody、「ホリディ」Holiday、「マサチューセッツ」Massachusetts は、このメンバー時代の大ヒット曲です。


オデッサ
日本のGSブームの崩壊と共に、ビージーズも、同じくアイドル的人気の高かったウォーカー・ブラザーズやザ・モンキーズ同様、何となく人気が日本では下降気味だった頃、まるで日本のGSのようにビージーズもまた、色々あり、リードギターのヴィンスがプロデュサー業に転向するため正式に脱退、その後、ビージーズのアーチスト宣言とも思える力作、アルバム「オデッサ」Odessaが1969年に発売された後、ギブ三兄弟の一人、ロビンがソロ・シンガーになるべく独立(後に復活)、残ったギブ三兄弟のうちの二人、バリーとモーリスが一方的にドラマーのコリンを解雇。

ビージーズは二人だけで、レコーディングし、そこそこヒットはするのですが、バリーとモーリスが兄弟喧嘩。個々にソロ活動をはじめるのですが、思わしい結果に至らず、この経緯は日本のGSブーム崩壊の各バンドや、ザ・ビートルズ解散の図式に似てなくもないわけですが、ビージーズは崩壊せず、再び独立したロビン含め三兄弟は結集、この後は固い絆で、この数年後、おそらく70年代初頭のニューソウル、フィリーソウルの影響なのでしょう、所謂ファンクビート、16ビートを取り入れ、当初は以前からのビージーズファンには大顰蹙をかい!、ニューソウル、フィリーソウルファンには相手にされず、商業的に大苦戦するのですが、1976年、日本の新宿や六本木の踊り場でも人気の高かった「へー、あのビージーズ、こんな踊れる曲もやるんだ」と、初めて!認知されたと記憶しております、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」 - You Should Be Dancing が、全米1位を獲得しただけでなく、R&B部門でも!初めて4位を獲得したのは注目する所で、この後、例の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」Saturday Night Feverのサントラの大ブレイクで、誰もが御承知の世界的なディスコブームの頂点を、ビージーズは極めるわけです。


小さな恋のメロディ ― オリジナル・サウンドトラック

で、何故か?日本でだけ1970年代初頭、空前の!爆発的な!大人気になった映画「小さな恋のメロディ」の、こちらも大ヒットしたサントラ「メロディフェア」Melody Fair(日本でのみシングルカット&大ヒット) 、B面「若葉の頃」First of May(英米では既にシングル発売されていた)は、1969年に発売されたアルバム「オデッサ」Odessaに収録されていた曲を挿入歌に使用したわけで、映画の為の書き下ろしだったわけではないのですが、あまり日本では、このアルバムが売れなかったのが幸い(?)したのか、オーディエンスにはとても新鮮な新曲に聴こえたのでしょう!大ヒット。

映画「小さな恋のメロディ」は記録的なロングヒットになり、名画座での二本だての抱き合わせ上映含め、70年代半ば頃までその人気は続いていたので、なんとなーくその「小さな恋のメロディ」のイメージのビージーズが、当然!ディスコになったイメージがありますが、米英ではこの映画はヒットせず、「メロディフェア」もシングルヒットしていない、ビージーズはその間、所謂ファンクビート、16ビートを導入、変身し、そして大苦戦していたので、「メロディフェア」から突然!ディスコヒットに変わったわけではなかったんですね。

「メロディフェア」「若葉の頃」が収録されたアルバム「オデッサ」から、映画「サタディナイトフィーバー」の大ヒット迄、約8年の時間があるわけで、この約8年のビージーズの変貌の葛藤の時期を、日本では映画「小さな恋のメロディ」が埋めていたので、日本人にはよくわからなかったわけですね。ずーっと!ビージーズは60年代後半から70年代後半のディスコヒット迄の間、ヒットし続けてた印象が強いのが、今の中高年層のビージーズの印象だと思います。

正に!その日本人に空白の8年間の錯覚を与えたのが!(笑)、その間、何度も何度も繰り返し上映され、当時日本で大人気!国民的ヒロインであった、映画「小さな恋のメロディ」のトレーシー・ハイドの、ファンの方なら思わず顔が微笑む、或いは涙ものの、この彼女の可憐な映像のBGMに流れたビージーズの「メロディフェア」、このシーンなんですね〜。

まあ、今のようにDVDもなければ、レンタルビデオショップ、レンタルレコード店もない時代ならではの話しだと思います。一度このシーンと音楽を観て、また動くトレーシー・ハイドを観たいと思ったら劇場にいくしかなかったわけで、そのリピーターが「この映画、音楽とても良いから」と連れてく友達、恋人がまた、お金を払ってリピーターになり、お金を払ってレコードを買ってくれる。正に!映画配給会社、レコード会社には、天国のような時代だったと思います(笑)。


若葉のころ ~ベスト・オブ・ビー・ジーズ


オリジナル・サウンドトラック サタデー・ナイト・フィーバー


ベリ-・ベスト・オブ・ビ-・ジ-ズ



Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

君の友だち キャロル・キング/CAROLE KING You've Got A Friend [キャロルキング]




つづれおり
1971年に発売されたキャロル・キングの、こちらのアルバム「つづれおり」 Tapestry は、グラミー賞4部門制覇、全米アルバムチャートで15週連続1位、その後も302週連続でトップ100に留まるロングセラーでしたが、当時の日本のロックキッズ、ふぉーくのコに限らず、音楽ファンの家には一家に一枚あったんじゃないか?ってほど、日本でも売れに売れたアルバムでございました。

キャロル・キングは1972年、日本の五輪真弓さんのデビュー・アルバム「少女」の制作をサポート。さの後、五輪真弓さんのアルバム3作品を手掛けており、日本でも馴染みの深い方でございます。

キャロル・キングは学生時代に、若きポール・サイモンからデモ・テープ作り方を教わったそうで、既に1950年代後半にはレコードデビューしており(商業的成功には至りませんが)、ニール・セダカの「オー!キャロル」のキャロルは、キャロル・キングの事であり、「オー!キャロル」を日本のクックニック&チャッキーが「僕の彼女は3つ年上」という日本語詞でレコーディグ、ヒットにはいたりませんでしたが、コアな古の踊り場に屯していた若者には人気を得、今もダンスクラシックファンには根強い人気を誇っております。

1960年代には、当時の夫ジェリー・ゴフィンとソングライター・コンビを組み、あの!リトル・エヴァの「ロコモーション」The Loco-Motionがビルボード1位に輝いたのはじめ、多くのヒット曲を手がける裏方になるわけですが、ザ・ビートルズ登場以降の60年代後半のフラワームーブメント時代は不調であり、離婚を機に(仕事上のパートナーな継続)再び本格的なシンガーソングライター活動を本格的に70年代になって開始した、こちらがその2枚目のソロアルバム。


ストレンジデイズ 2007年 12月号 [雑誌]


大人のロック! 2010年 夏号【Vol.23】[雑誌]


ピアノ弾き語り キャロルキング/つづれおり


ピアノソロ The Very Best of CAROLE KING


PIANO SOLO キャロル・キング/ザ・ベスト


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

ハッピー ザ・ローリングストーンズ/The Rolling Stones - Happy (live) [ローリングストーンズ]




メイン・ストリートのならず者<デラックス・エディション>

パフォーマーの「動」のミックとキースに対し、この「静」のミック・テイラーのストーンズ。今では考えられないソレですが、ミック・テイラーのように静かに動かずギターを弾いてる方が、少なくとも日本では「カッコイイ」「上手い」と言われていた所があって、あまりライブパフォーマンスというのが、当時のニューロックファンはジャズファンに近いソレがあり、また、ジャズもブルースもニューロックも平行し好んでいた所もあって、今で言うロックバー、当時の「ロック喫茶」も騒いではいけない大きな声で話してもいけない、名曲喫茶(クラシックを聴きながらお茶を飲む所)のごとく厳かに!曲を聴かなければいけない雰囲気もあって、ロックバンドなのに(笑)「動」ライブパフォーマンスが評価される時代、重要視される空気ではなかったような記憶があります。

というより当時、エリック・クラプトンと同じブルース・ブレイカーズ出身でクラプトンばりのウーマントーンの流れるようなフレーズを得意としていたミック・テイラーの方が、ルックスも日本人好みの可愛い顔もしていた事もあり、何より当時の「エリック・クラプトン」というブランド力は、今の若い人には想像もつかないほどの、水戸黄門の「葵の御紋」ぐらいの威力があったので、その!エリック・クラプトンの後釜でブルースブレイカーズのリードギターを弾いていたミック・テイラーの経歴は、「葵の御紋」の松平家直結(笑)、「えーい!控えおろう」というソレだったわけで、日本人はこの「葵の御紋」に極めて弱い民族性なので(笑)、ジャズの世界でも「バークリー」音楽大学出身とか、あの有名な誰々の直弟子という「葵の御紋」を出されると、(あんまり面白くねーけどな)と内心思っても、それは言えなくなる人が、けっこういたりするのと同じだと思えば良いでしょう。

勿論!ミック・テイラーは素晴らしいギタリストであります!


「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」公開記念盤 Premium Tribute to STONED(DVD付)

又、それ以前のGSブームの頃は、こちらも美形のブライアン・ジョーンズの方がキースより人気が高かった、というか、あまりキースを評価していた印象がなかったのですが、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の主演、ジョニーデップは、主人公のジャック・スパロウ船長はキースをイメージして演じた、と公言しているこのキースの「灰汁の強い」ルックスは、当時の日本人の好みではなかったのかも知れないですね。

本当にいつ頃なのでしょう?キースが実は、この「ハッピー」Happyや「ブラウンシュガー」「ホンキートンクウーマン」等の、これぞ!ロックギター!、イントロのリズムギターでその楽曲の魅力が決まってしまうような、そんなコードリフやバンドをグルーヴさせるリズムギターを弾く「すげー奴なんだ」と、日本でなったのは?。

個人的には未だ「ギターマガジン」が創刊される以前の70年代後半に、「ヤングギター」の奏法解説等で、実はリズムギターというのはバンドアンサンブルにおいて極めて重要、それもギターバンドでのリズムギターはその楽曲をグルーヴさせる為の肝、正に!R&R、ロックそのものであると、まあ、キースよりは以前より評価されておりましたが、ザ・ビートルズのジョン・レノンのリズムギターは実は凄かったんだ同様、リズムギタリスト再評価の空気になってきてから、そして80年代になって「スタートミーアップ」の強烈に!インパクトのあるコードリフの一発で、「やっぱりキースは凄いんだ!あれもこれも、キースありきの曲だったんだ」と再評価されるようになったり、まあ、やや日本では送れてブレイクしたパンクムーブメントの次世代の若者達に、このキースの「灰汁の強い」ルックスが好まれたからではないか?と記憶しておりますが、間違ってたら申し訳ありません。

思えばキース・リチャーズは60年代から、ずーっと!ザ・ローリングストーンズの楽曲をミック・ジャガーと手がけていたのに、そのヒット曲の殆どのギターリフもキースが弾いていたのに、GSブームの時代はブライアン、その後はミック・テイラーの方が人気があったというのは、キースに日本人は悪い事をしたなと(笑)、今更ながら思ったりいたします。

エリック・クラプトン登場以前迄、1ギタリストがそれほどバンド全体としてや、シンガーはともかく、ギタリストが注目される時代の空気でもなかったし(ザ・ヴェンチャーズは別ですが)、クラプトン登場以降は、称賛は「リードギター至上主義」の傾向がなきにしも非ずでしたので、やはりブライアンの後釜のミック・テイラーのリードギターテクニックを皆、語るのが「当たり前」だったわけで、いや勿論!いたのでしょう、コアなキースマニアも。でも、80年以降から今の今迄のような大きな称賛、絶賛は当時、キースは受けてなかったように私は記憶しております。まあ、基本的には70年代は和製ふぉーくブームの時代でしたし。

うーん、しかし!

ザ・ローリグストーンズは本当にカッコイイな〜!

レディース・アンド・ジェントルメン [DVD]


ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト コレクターズBOX (完全限定生産) [DVD]


ザ・ローリング・ストーンズ/レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー [Blu-ray]


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

ハロージェフ/スタンリー・クラーク ジェフ・ベック STANLEY CLARKE, Hello Jeff [ジェフ・ベック]



ジェフ・ベックの初来日が、グランドファンク・レイルードやレッド・ツエッペリン、フリー、ピンク・フロイドが既に2度目の来日公演を果たしていた、大物ロックバンドの来日ラッシュブームの最中の1973年のベックボガード&アピスだった為、当時の「そういう時代の空気」もあり、短命だったわりにベックボガード&アピスは今も日本のロック親爺に人気の高いグループなわけですが、このグループが当初の予定通りもっと早く、例えばジェフの望み通りロッド・スチュワートがシンガーとして加わっていて、当時の時代の空気通り「打倒レッド・ツエッペリン」になりえたグループだったら、ロックの歴史もまた変わっていたかも知れませんが、当のジェフ・ベックが既にジャズとロックとファンクの融合(クロスオーバーと言われたソレ。後にフュージョン)を発表、ジャンルを越えた衝撃を与えていたマイルス・デイヴィスの、その門下生チック・コリアのリターントゥフォエバーと、そのギタリスト、ジョン・マクラフリンに強い興味がいっていたそうでして。


ブロウ・バイ・ブロウ

そのベックボガード&アピスは、来日公演の翌1974年には消滅(ジェフがテイム・ボガードのベースに不満を抱いていたので衝突。揉めたとか)、日本のチャー氏とも活動を共にしているドラマー、ジム・コウプリーが在籍していたUPPで、この後、1975年発表の、当時、ギターインストアルバムとしては珍しい!商業的大成功を収め話題沸騰となった「ブロウバイブロウ」Blow By Blow(邦題:ギター殺人者の凱旋)で示した方法論を、随分と「試して」いたように感じる活動をしたり、又、ミック・テイラー脱退によりザ・ローリング・ストーンズのリードギタリストとして旧知の仲のジェフも候補者として呼ばれますが、ベックボガード&アピス以前の、こちらも短命で終わった、当時からコアなジェフ・ベックファンにはベックボガード&アピスより高く評価されていた第二期ジェフ・ベックグループでジェフがやっていた、やりたかった事とリターントゥフォエバーとジョン・マクラフリンにジェフは共通点を感じていたそうで、また、ロッド・スチュワートにふられベックボガード&アピスで感じていたボーカリストの問題も、マクラフリンのギターインストという方法論で目から鱗だったジェフは、ストーンズのリードギタリストになる事もなく、ソロ名義のギターインストアルバム「ブロウバイブロウ」Blow By Blow発表後、その!ジョン・マクラフリンとお互いのグループでアメリカツアーを開始するわけですね。

で、この時のジェフのサポートメンバーが、第二期ジェフ・ベックグループの盟友、キーボードのマックス・ミドルトン以外、「ブロウバイブロウ」Blow By Blowのレコーディングメンバーではなく、ジェフ要望のNYナンバー1黒人セッションドラマーのバーナード・バーディ、バーディの推薦の黒人ベーシスト、ウィルバー・バスコム。あの!二度目の来日になった、内田裕也氏が中心になって後楽園球場で開催された、「ワールドロックフェスティバル」と同じメンバーだったわけであります。


Journey to Love
そしてそのリターントゥフォエバーのジェフお気に入りの!ベーシスト、スタンリー・クラークのセカンドソロアルバム「JOURNEY TO LOVE」のレコーディングセッションで、遂にジェフはスタンリーとの競演を果たすわけですね。その名も!「Hello Jeff」。ドラムも当時リターントゥフォーエバーで活躍していた名手!レニー・ホワイト。このジェフの為に書かれた曲でのジェフの演奏、現場でのジェフの興奮が伝わってくるような気がするのは、私だけでしょうか?。

欲を言えば、ジェフとスタンリー・クラークとレニー・ホワイトで、1枚でもジェフ・ベック名義で!アルバムを発表してほしかったですね。そうすればロックの歴史も、その後の日本でのフュージョンブームも、違う形になってたかも知れないと思うので。


Get Down in the Dirt: The Complete Upp


Blu-spec CD 火の鳥


ベック・ボガート&アピス・ライヴ・イン・ジャパン


【字幕付・日本版】ジェフ・ベック ライヴ・アット・イリディウム~レス・ポール・トリビュート [DVD]

Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

ジェフ・ベック レッドブーツ/Jeff Beck - Led Boots [ジェフ・ベック]




ワイアード

ベックボガード&アピス消滅後、チャー氏のファンの方にはお馴染み!チャー氏と活動をしてるジム・コウプリーがドラマーだったUPP、そしてシンガーをバンドにいれる活動と決別。インストルメンタルギターリストになる、ギターインストアルバムとしてはビルボードチャート4位を記録する、爆発的に売れた「ブロウバイブロウ」Blow By Blow(邦題:ギター殺人者の凱旋)を経由、そんなジェフ・ベックが強く影響を受けたマハヴィシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリンとのアメリカツアーを、ジェフご指名でNYナンバー1黒人セッションドラマー、バーナード・バーディと、彼の推薦の黒人ベーシスト、ウィルバー・バスコム、そして第二期ジェフ・ベックグループの盟友、「ブロウバイブロウ」Blow By Blowにも参加したマックス・ミドルトンをキーボードに敢行。当時、日本の内田裕也氏を中心にした、後楽園球場で開催された「ワールドロックフェスティバル」で二度目の来日を果たし(風邪で体調不良だったのは有名な逸話)、マハヴィシュヌ・オーケストラのジェフの大のお気に入りの!ベーシスト、スタンリー・クラークのアルバム参加を経、ジャンルを越えたクロスオーバーギタリストとして乗りに乗っていたジェフ・ベックが1976年に放った、アルバム「ワイアード」Wired。

ドラムには、ジェフお気に入りのマハヴィシュヌ・オーケストラに1974年に参加した、ナラダ・マイケル・ウォルデン。日本の高中正義氏とも80年代になって競演してる名ドラマーでごもあり、又、アレサ・フランクリンやホイットニー・ヒューストンもプロデュースしているブラックミュージック界の大御所でもあります。

ベースは、バーナード・バーディ推薦の、レコーディング前からのツアーメンバー、ウィルバー・バスコム。同じくキーボードにはツアーメンバーのマックス・ミドルトン。他、ドラマーにはエド・グリーン 、リチャード・ベイリー 。そして!キーボードに、こちらもマハヴィシュヌ・オーケストラに参加していた、1980年には増尾好秋氏の日本ツアーにも帯同、その後も増尾氏と共演しているヤン・ハマーによる、当時のロックキッズ達が、こちらも度肝を抜かした名盤でございます(プロデュースは再び、ザ・ビートルズファンにはお馴染みの!ジョージ・マーティン)。


ライヴ・ワイアー
ジェフはアルバム「ワイアード」Wired完成後のツアーは、また!メンバーを代え、ヤン・ハマーのグループとツアーを敢行。元々、ザ・ローリング・ストーンズ、ジェフ・ベックも参加していたヤード・バーズに強い影響をうけてる、当時、最初の人気ピークがきていたエアロスミスとのツアーも実現。エアロスミスのステージにもジェフは飛び入り参加し、ジェフ・ベックの大ファンだったエアロスミスのギタリスト、ジョー(ファッキン)ペリーのその時の感慨、感激は計り知れないものがありますね(一説によると、感激のあまりジョー・ペリーは涙を浮かべていたとか)。

こちら「レッドブーツ」Led Bootsは、そんなアルバム「ワイアード」WiredのA面1曲目を飾った、当時のロックキッズたち衝撃の!1曲でございます。


Performing This Week: Live at Ronnie Scott's Jazz [Blu-ray] [Import]

Performing This Week: Live at Ronnie Scott's Jazz [Blu-ray] [Import]

  • 出版社/メーカー: Eagle Rock Ent
  • メディア: Blu-ray



【字幕付・日本版】ジェフ・ベック ライヴ・アット・イリディウム~レス・ポール・トリビュート [Blu-ray]


ラフ・アンド・レディ


ジェフ・ベック・グループ


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

「ワールド・ロック・フェスティバル・ イーストランド」 [内田裕也]

ジョー山中 & クリエイション 「ウーマン」


この音源は別にワールド・ロック・フェスティバルのソレではありませんが、同じ時期にラジオで演奏されたそれのようなのでアップいたしました。ワールド・ロック・フェスティバルのトリに登場した、この日の為に結成された日米混成スーパー・グループ。メンバーはフェリックス・パッパラルディ、ジョー山中氏、竹田和夫氏(クリエイション)、森園勝敏氏(四人囃子)、樋口晶之氏(クリエイション)、近田春夫氏(ハルヲフォン)、ライバチェック(フェリックスが連れて来たアメリカ人ドラマー)の7人だったそうなので、そのジョー山中氏とクリエイションの竹田氏、樋口氏の貴重な音源ゆえ。

しかしこの音源、歌唱も演奏も凄いですね〜!カッコイイ。


CREATION WITH FELIX PAPPALARDI LIVE AT 武道館 1976 (紙ジャケット仕様)

ジョー山中&クリエイションでアメリカやイギリスでやってほしかったな〜なんて、1ファンとして妄想を抱いてみたりします。まあ、クリエイションはこの後、フェリックス・パッパラルディとアメリカに渡りアメリカでパッパラルディとアルバムを作り76年、日本武道館で凱旋帰国ライブを行ないましたし、ジョー山中氏も1977年、アメリカのTVドラマ「コンバット」でお馴染み、リック・ジェイソンや、アカデミー助演男優賞俳優のジョージ・ケネディも出演してる角川映画「人間の証明」に出演、主題曲も歌い大ヒットさせる各々の活躍もありましたので実現などできませんでしたが、「ジャパニーズロックこれにあり!」と、この歌唱&演奏を、商業的に成功するしないの話しではなく、海外で聴かせ見せて欲しかったものでございます。


人間の証明 デジタル・リマスター版 [DVD]
ちなみに75年のワールドロックフェスティバルの翌年、1976年の雑誌「ミュージックライフ」人気投票。国内バンド部門はクリエイションが1位、男性ボーカリスト部門でジョー山中氏が2位、クリエイションの竹田和夫氏が3位(1位は井上陽水氏、4位がジュリー、沢田研二氏)、ギタリスト部門1位がクリエイションの竹田和夫氏。いやー時代です。♪あの時 僕も若かった(笑)。


ワイアード

ワイアード

  • アーティスト: ジェフ・ベック
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2006/02/22
  • メディア: CD


内田裕也氏が中心になり開催された、当時としては最大級のイベント、1975年8月7日後楽園球場で行われた「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」には、ジェフ・ベックも登場しており(風邪で体調不良だったのは有名な逸話)、この時期はジェフ・ベックの歴史の中でバンド名義活動からソロ名義活動に切り替わる分岐点の頃で、メンバーは1970年からアレサ・フランクリンのバックバンドのバンマスを務めていた、ソウル、R&B、ロック、ジャズとジャンルを問わずの名手!売れっ子セッションドラマーのバーナード・バーディ。この時期、最新の!衝撃的だったアルバム「WIRED」でマハヴィシュヌ・オーケストラの名ドラマー!ナラダ・マイケル・ウォルデンとグルーヴを作り、もの凄いプレイを聴かせてくれた、あの!古のギターキッズならお馴染み「Led Boots」のベースのウィルバー・バスコム。そして強力な!黒人ファンク勢のリズムセクションと、ジェフ・ベックと共に英国白人として渡り合うジェフ・ベックグループ時代の盟友、キーボードが白人ファクキーボードの名手!マックル・ミドルトン。

ジェフ・ベックは「ワールドロックフェスティバル」出演のこの時期、このメンバーで全米を、ジョン・マクラフリン率いるマハビシュヌ・オーケストラとジョイント・ショーを行なっており、演奏曲を調べると、ベックボガード&アピス時代のスティービー・ワンダーの「迷信」Superstitionや、アルバム「BLOWBYBLOW」からのナンバーの他、その後、競演しますが未だ出会っていないチック・コリアのリターントゥフォーエバーのベーシスト、スタンリー・クラークの「パワー」Powerもあり、ジェフ・ベックのセンスと動向に、とても興味をそそられる時期でもあるんですね。


バンドスコア ロッククラシックスジャパン [70年代編]


サトリ


メイク・アップ


メイド・イン・ジャパン


CREATION


ピュア・エレクトリック・ソウル


クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ


ブルース・クリエイション


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

ハービー・ハンコック・カメレオン/Herbie Hancock - Chameleon (Live) [ハービー・ハンコック]




ヘッド・ハンターズ

60年代よりジャズシーンで人気だったハービー・ハンコックの、アルバムとしては初めてビルボードのジャズ・チャートで1位を獲得、総合アルバム・チャートでも20位以内に達して、商業的にも大成功した1973年発表のアルバム「ヘッド・ハンターズ」Head Huntersから、カメレオンChameleon。


ブロウ・バイ・ブロウ
この15分にも及ぶインストルメンタルの楽曲が収録されてたアルバムが、ジャズ・チャートはともかく、ビルボードの総合チャートで20位以内に入ったというのは事件で、このアルバムの成功を皮切りに、当時ジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラの「黙示録」Apocalypseをプロデュースした、ザ・ビートルズのプロデューサーでロックファンにはお馴染みのジョージ・マーティンに、マハヴィシュヌ・オーケストラのジャズ・ロック的なアプローチに傾倒していたジェフ・ベックがプロデュースを以来、1975年、発表されたアルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」Blow By Blowがギターインストアルバムとしては異例の!ビルボード一般チャート4位、アメリカゴールドディスクを獲得する空前の大ヒットになり、翌、1976年、更に!一般的にアメリカに限らず、ジャズだロックだに全く興味のない日本のオーディエンスにも売れに売れた大ヒットアルバム、ジョージ・ベンソンの「ブリージン」Breezin が続き、これ等の楽曲はジャズなのか?ロックなのか?どう評して良いのかわからず、なんとなーく『クロスオーバー』という言葉が出来たような記憶があるのですが(笑)、もしかしたらもっと商業的なレコード会社の思惑があって、クロスオーバーという「ジャンル」を作ったのかもしれませんが、定かな所は管理人にはわかりませぬ。

1970年前後というのは歴史的にみても、それまでのR&Bとは違う、もっとロックやジャズ色を入れたニューソウル、ニューファンクが黒人の間から誕生し、70年代初頭、日本の「踊り場」後にディスコと言われる場所でも、一部のコアなとっぽい連中にはウケ(一般的には世の中は和製ふぉーくブームだったので、それほどでもなかったですが)、また、プレイヤーサイドの方々にも強い影響を与えており、又、ジャズの帝王、マイルス・デイビスがファンクやロックに影響をうけ、それまでのアコースティックジャズをやめ、電子楽器を使った「新しい事」をやりだし、こちらハービー・ハンコックの「ヘッド・ハンターズ」Head Huntersも、そのマイルス系列の流れの、当時は『クロスオーバー』、昨今は、ジャズファンクの傑作アルバムと『ジャズファンク』で統一されてる大ヒットアルバムなわけで、その名の通りジャズとファンクの融合。逆にニューファンクと言われていたバンド、当時の踊り場で人気になっていたグループの当時のアルバムも、『クロスオーバー』『ジャズファンク』的な所も多々あり、日本で今も古のディスコフリークに人気のあるアース・ウインド&ファイヤーの当時のアルバムは、まさに!そんな感じのアルバムでございます(特に日本では当時、殆ど売れてませんが)。

或いはジェフ・ベック同様、ロックと言われるサンタナもマハヴィシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリンと競演アルバムを出しており(このアルバムは当時のサンタナ人気で売れました)、プレイヤーサイドは「稚拙なジャンル分け」で活動などしていなかったのが、よくわかると思われます。

ちなみにこのアルバム、「ヘッド・ハンターズ」Head Huntersに参加してるベーシスト、ポール・ジャクソンは、日本人女性との結婚を機に1985年に日本に移住。チャー氏のサイケデリックスに参加しておりますし、ドラマーのハーヴィー・メイスンは、バークリーの同期生に日本人ジャズ・ピアニストの佐藤允彦氏がおり、ギタリストの大村憲司氏やカシオペアのプロデュースも日本のフュージョンブームの頃行っており、昨今も元T-SQUAREの本田雅人氏のレコーディングに参加したりと、何かと日本の古のロックファンやフュージョンファンにも、馴染みのあるメンバーでございます。


定本ハービー・ハンコック (ジャズ批評ブックス)


ジャズピアノ名演集 ハービーハンコックコレクション メロ譜付 (ジャズ・ピアノ名演集)


【送料無料】Roland(ローランド) 電子ピアノ RD-700NX Digital Piano



Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

リターントゥフォーエバー/Return to Forever Return to Forever Part 2 [チックコリア]



何時聴いても、幾つになっても、ぞくぞくする名曲でございます。


リターン・トゥ・フォーエヴァー
2009年には日本の上原ひろみさん、レニー・ホワイトと組んでスタンリー・クラーク・トリオとして「Jazz in the Garden」を発表した、ジェフ・ベックとの競演もあるのでロックファンにも有名なベーシスト、スタンリー・クラークの名を一躍有名にした、マイルス・デイヴィスの作品で、エレクトリック・ジャズの黎明期を担ったチック・コリアが結成した、そのスタンリー・クラークが参加したグループの、1972年に発表されたアルバム、通称「かもめ」。

「リターントゥフォーエバー」Return to Foreverは、所謂「フュージョン」に分類されますが(リアルタイム当時『フュージョン』という言葉があった記憶は、管理人はございませんが)、コアなロック系のプレイヤー、ロックファンのオーディエンスにもリアルタイム多大な影響を与えた、「かもめ」は傑作アルバムでございます。

特に、日本のサディスティック・ミカ・バンドのアルバム「黒船」は、このアルバムの強い影響下にあったのではないか?と、全く!個人的な!感想で何の確証もない戯言ですが、何時も感じております。

ちなみに日本の歌謡ヒットのみならず、ニューオリンズ、プエルトリコ、ラスベガス、ネバダ、ニューヨーク、ロサンゼルス、ハワイなどでも公演していた日本の朱里エイコさんの、1979年の「窓あかり」のドラムを叩いているのは、このグループの名ドラマー!レニー・ホワイトです。


Amigos

一般的にロックの分野に入るカルロスサンタナは、1980年前後の所謂「フュージョンブーム」がくる以前から!、1975年の「不死蝶」でリターン・トゥ・フォエバーのスタンリー・クラーク、アイアート・モレイラ等と競演しておりますが、ジェフ・ベックの大成功と異なり、残念ながら商業的にはコケてしまい、70年代初頭は商業的に空前の!大成功を収めていたサンタナが、この所謂「フュージョン」、当時の名称は「クロスオーバー」系に流れた時期、商業的には下降していたのが当時のリアルタイムの実情で、これらアルバム「ウエルカム」「啓示」「不死蝶」の、ラテンロックの王者から所謂フュージョン、クロスオーバーアプローチのアルバムの、商業的な失敗の元、ラテンロックの王者への回帰アルバム、こちらは大ヒットしたアルバム、1976年の「アミーゴ」からシングルカットされ、日本でも大ヒットしたのが、あの!「哀愁のヨーロッパ」でございます。


ジャズ・ピアノ・コレクション チック・コリア【改訂版】 (ジャズ・ピアノ・コレクション)


jazz bass player (ジャズ・ベース・プレイヤー) Vol.6 (シンコー・ミュージックMOOK)


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

映画「ウッドストック」/Jimi Hendrix - Star Spangled Banner Live Woodstock [ジミヘンドリックス]



今や!伝説の!1969年「ウッドストック」ですが、日本では70年代になってから公開されたこの映画、大々的に当然!大ロードショーを映画会社は敢行したのですが、見事に!商業的には大コケ!(ストーンズの『ギミーシェルター』もしかり)、、、。


ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 40周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション [DVD]

勿論、一部のコアなニューロックファン達には称賛され、衝撃を与えた映画でしたし、ロック史に残る記録映画なのは間違いなく事実なのですが、日本ではリアルタイム(少しタイムラグがありますが)ロードショーは、商業的には全く駄目、配給会社側は真っ青の!日本では大コケだったんですね。でも、この記録映画は、名画座で何度も何度も色々なロック映画と抱き合わせで上映され、コアなロックキッズ達の熱い支持を受け続け「どさ回り」でロングラン上映を続け、今の「伝説的」なソレを日本では得てるわけですが、80年代になってレンタルビデオビジネスが確立されてからは、更に!大ヒット商品になった、今の初老中高年のロック親爺には、初体験時期はリアルタイムロードショーか?少し後追いの名画座か?、はたまたかなり後追いのレンタルビデオか?の違いはあれど、定番、お馴染みの「伝説」の映画になったわけでございます。

で!こちら不世出の!天才!ギタリスト!、ローリングストーン誌では2003年「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第1位に選ばれ、「ギター・マガジン」誌でも2010年「ギター・マガジンが選ぶ! 史上最も偉大なギタリスト100人」でも1位に選ばれたジミ・ヘンドリックスは、この「ウッドストック」出演の翌1970年9月18日に死亡しているので、極めて守銭奴的、商業的な「いやらしい」考え方をすれば、日本では1970年7月に上映され、そして見事に!商業的には大コケしてしまったこの映画「ウッドストック」が、もしも!あと2、3ヶ月遅くロードショーが開始されていたら、ジミ・ヘンドリックスの追悼映画として、映画会社、マスメディアも宣伝したでしょうから、当時、日本ではコアな一部ニューロックファンの若者達は別にして、一般的にジミ・ヘンドリックスはそれほど人気が高かったわけではありませんが、もう少しマシな商業記録になったのではなかったか?、そうなれば多くの一般オーディエンスがこの映画を観ますから、日本のその後のロックの歴史も変わっていたかもしれないなと、思ったりいたします。

この映画の撮影、編集に携わったのは、1970年代に入り、フランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ、ブライアン・デ・パルマといった若手監督たちと親交を深めるようになり、1976年、デ・パルマに紹介されたポール・シュレイダーの脚本を映画化した「タクシードライバー」の大ヒットで、一躍!時の人になった、マーティン・スコセッシ。


ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 40周年記念 [Blu-ray]


ライヴ・アット・ウッドストック [DVD]


ウッドストック


ライヴ・アット・ウッドストック


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり

映画「ギミーシェルター」/THE ROLLING STONES - GIMME SHELTER (1970) [ローリングストーンズ]




ザ・ローリング・ストーンズ / ギミー・シェルター〈デジタル・リマスター版〉 [DVD]

愛と平和の祭典、ロックの勝利のウッドストックフェスティバルは一瞬の夢としらしめたザ・ローリングストーンズの同じくフリーコンサート、所謂「オルタモントの悲劇」。ドラッグでぶっとんでる大勢のオーディエンスと会場警備にあたったヘルズ・エンジェルズの混乱、暴動の果て刺殺事件まで起きてしまった、素晴らしいロックの勝利の1夜に、ウッドストックばりにしたかったライブを、皮肉にも写してしまったドキュメンタリー映画「ギミー・シェルター」の、こちら1シーン。

本物のヘルズ・エンジェルスは、やはり迫力があるし、ウッドストックとは明らかに会場の客層が違う、まるで昔の日本のふぉーくコンサートの客層と、歌舞伎町の踊り場、ディスコ、暴走族の集会ぐらい(笑)同じ若者でも差があるのが、よくわかりますね。

「ウッドストック」と共に1970年代になって、大々的に!劇場ロードショー映画として上映され、ザ・ビートルズの「レットイットビー」、エルビス・プレスリーの「エルビス・オン・ステージ」「エルビス・オン・ツアー」と違い、見事に!共に!商業的にはコケてしまい、当時、日本中の若者達に人気だったニューロックというのは嘘、都市伝説だというのがわかる、今は大巨匠!のザ・ローリングストーンズも、今や!伝説の!「ウッドストック」のトリで有名なジミ・ヘンドリックも、一部のコアなロックファンにしか人気がなかった、一般的にロックを理解してた好んでた日本人は、若者ですら!実は少なかったという、当時の日本でのレコード売り上げのチャートを眺めててもわかるの同様、これも1つの証明だと思います。

エルビス・プレスリーは日本でもロカビリーブームの頃より人気ありましたから、長い間、ハリウッドのB級映画(管理人は好きですが)ばかり出演していたそのエルビスがライブ、ツアーに復活!した、ドキュメンタリー映画がヒットするのは当たり前!(新宿伊勢丹前の今の「コメ兵」が映画館、ロマン劇場だった頃、エルビス熱唱の看板で大々的!ロードショーやってました)、また、こちらも皮肉にも結果的には自分達の解散劇を写してしまった、そんな筈ではなく最初は撮影開始した、ザ・ビートルズの「レットイットビー」も、ビートルズ解散は世界的大ニュースでしたからヒットしたわけですが、残念ながらストーンズの「ギミーシェルター」、そして「ウッドストック」、あとアフリカのガーナでk開催された、ウィルソン・ピケット、アイク&ティナ・ターナー)、サンタナ等が出演したライブドキュメンタリー映画「ソウルトゥソウル」(邦題:魂の詩)も、グレイトフル・デッド、サンタナ、そしてブルースをやっていた頃の(ロウダウンの遥か前)ボズ・スキャッグスの「フィルモア最後のコンサート」も、商業的には見事に惨敗。映画界に「ロック映画はあたらない」と、悪しき定説が生まれてしまったような記憶が、ございます。

ちなみにこの「ギミーシェルター」、現場でカメラを回していた一人に、かけだしのジョージ・ルーカスがおり(映画プログラムに、スタッフで名前が記されてります)、ある種の「ロックの敗北」を現場で直面したルーカスが、「昔は良かった」と、この数年後「アメリカングラフィティ」を撮る動機にもなってるのではないか?と思うわけで、逆に「ロックの勝利」を描いた「ウッドストック」は、こちらも若きマーティン・スコセッシが撮影・編集を行なっているので、ザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」のような、美しいドキュメンタリー映画を作ってるのは、「ギミーシェルター」と「ウッドストック」というネガとポジの同じ時代の1枚のフィルムの、裏表を体験したルーカスとスコセッシの原体験の違いなのではないか?と、思うわけであります。

で、余談ですがスコセッシは日本の溝口健二監督の「雨月物語」、今村昌平監督の「豚と軍艦」を含む今村昌平監督作品を何作か見てその感性に共感、小林正樹監督の「切腹」「上意討ち 拝領妻始末」のファンでもあったそうで、ルーカスも又、日本の黒澤明監督を尊敬しているのも有名な話しで、日本人にはこのへんとても嬉しい逸話であります。


レディース・アンド・ジェントルメン [DVD]


ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト デラックス版 [DVD]


ザ・ローリング・ストーンズ/ハイド・パーク・コンサート [Blu-ray]


Moondog R&R Records Shop

東京 通販 グルメめぐり
前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。